(絵・陳九熹)
口先で衆生を愛護すると言いながら、食の欲に任せてはいけない。 動物を殺傷してから、仇の報いを受けるようになってはならない。 五穀だけで栄養は充分に足りるのだから、安心して食べることができれば、 健康を護るだけでなく、心のケアもできる。
今年の初めから、アメリカ西海岸で発生した森林火災は延焼し続けて、付近の住宅地にまで接近し、多くの動物が逃げ場を失いました。また、南米のブラジルの森林火災は去年よりも酷く、九月だけで発火した箇所が二万を超えました。火災発生地点を地図で見ると、赤いマークの被災地が益々広がっています。これは人々に、この世に危機が迫っていることを警告しているのです。例えば、車の運転中は赤信号を見ると車を止め、歩行者が安全に道を渡ることができるよう規則を守ります。もし、車を止めず、よく見ずに突っ走れば、必ず事故を起こしてしまいます。
法華經の「譬喻品(ひゆほん)」に「三界は火宅の如し」とありますが、それは、人の心は「貪、瞋、癡」によって造られた業が世に濁気を充満させていても、今だに迷いから覚めず、悟らずにいることの喩えです。あたかも、燃え盛る家の中で、子供たちはが遊び惚け、怖さを知らず、逃げることさえも知らないようなものです。日常生活の中で見聞きする様々な誘惑は全て、心を動かす源であり、人は直ぐに警戒心を忘れるため、敬虔な心を持ち続けることが困難なのです。
もし、あらゆることにつけ、自分中心に、「自分が楽しければ、何故いけないのか」という考え方であれば、容易に禍を引き起こしてしまいます。自己中心なために、手段を選ばず奪い取って享受し、山河大地を開発してその利を得ようとします。人間の生活形態が環境を傷つけ、気候が不順になり、火災や洪水、台風などが起きています。干ばつ或いは豪雨による洪水のどちらでも、災害は人々の平安を脅かしています。これは天災でしょうか、人災なのでしょうか?破壊が先に起こり、その後に災害に見舞われるのは、人が造った原因の結果として人が苦しむという因縁果報に他なりません。
災害は目に見えますが、無形の疫病は目に見えず、触ることもできず、勢いを増すばかりです。それは食の欲を制御することができず、野生動物を食すために、ウイルスが口の中から入り、そうやって世界中に蔓延したのです。新型コロナウイルスの潜伏期間は長く、感染者が触れた所にはウイルスが残留している可能性があり、人々を不安に陥れています。医療科学が如何に発達しても、直ぐに感染を制圧することはできず、十分な人力があっても防ぎ止められず、自分たちの生活習慣を改める以外に方法はありません。
今度の災厄は大自然が人類に与えた警告であり、この「大いなる教育」は受けざるを得ません。感謝と懺悔の気持ちを持つこと、即ち、人同士が共同で社会を作り上げて、衣食住と交通手段を満たしていることに感謝し、互いに愛し助け合わなければいけません。生活の中に起きた貪、瞋、癡による過ちに対して懺悔し、懺悔する心があれば、警戒心が起きます。また、真心からの敬虔心と清らかな善の祈りを捧げるべきで、「菜食」することはその敬虔さを最もよく表しています。
統計によると、世界の人々は一秒間に二千四百四十三もの生命を食用にしており、毎日、二億以上の生命が殺害されています。「半斤食べたら、少なくても四両返す(台湾語の諺‥恩を受けたら、お返しして礼を尽くす)」と言われますが、肉食主義者は食卓に上る数々の生命に対して毎食「貸し」を作っているのです。どの命も生きる権利があるのです。生命を殺めることで、仇の報いを受けてはいけません。衆生を愛護するには菜食以外になく、口先で愛を語る一方で、食の欲を貪り、動物を食用に飼育して殺害してはいけません。
「健康食」が食べたいなら、五穀と野菜があれば栄養は充分で、心の負担もなくなります。菜食は慈悲心を培い、肉を食べないので食による伝染病から免れ、健康を護るだけでなく、心のケアもできます。菜食は困難なことではありません。発心立願する志があれば、できないことはないのです。
破壊された地球はどうすれば修復できるのでしょうか?人類と萬物が共存していくには、共に福縁をもち、業を造らないことです。今生この世で、未だ分別をわきまえなかったら、来世の人生はもっとぼんやりしてしまいます。衆生の智慧を啓発し、これ以上迷って、知らぬ間に業を造ったりしてはいけません。「完璧な愛」、即ち物も人も一切の衆生の命を愛するよう訴えるのです。
四大不調(万物の四大構成要素である地水火風が乱れること)にウイルス蔓延が重なり、世界の多くの人が昼夜分かたず苦しんでいます。私たちは今の平穏無事を感謝すると共に、予防に注意しましょう。仏に福を求めるのではなく、自分の心が日々善の方向に向かうよう努力するのです。人心を浄化する速度はこれ以上緩めてはならず、絶えず人間(じんかん)菩薩(ぼさつ)(ボランティア)を募り、少しでも善が多ければ、貪吝が少なくなるのです。道理をよく理解すれば、どんなに激しい怒りの火でも消すことができ、愚痴を取り除くことができます。皆さんが心して精進してください。
(慈済月刊六四八期より)