ルンビニ・シッダールタ小学校のアルタフ校長が生徒たちに授業をしていた。地元公立学校の出席率は、農繁期に伴って大幅に増減する。(撮影・洪德謙)
ネパールの学齢児童は、たとえ十年間の無料義務教育という福祉があっても、十年間学校に通って卒業する人は、僅か六割に過ぎない。辺鄙な村の貧困と男尊女卑の伝統的観念が主な原因である。
ルンビニ公立学校の教師は、自ら村に出向いて生徒を募集しており、また慈済ボランティアの「中途退学者ゼロ計画」を通して、子供たちを教室に呼び戻し、幸せな笑顔を取り戻したいと頑張っている。
まだ正午前だが、気温は三十八度に達していた。炎天下で砂塵混じりの熱風に耐えながら、日陰の全くない田舎道を皆は歩き続けた。
四月下旬のある日、ネパール‧ルンビニ第五区のシュリー・タルクルハ中学校副校長のマダン‧プーデルさんは、教師と慈済ボランティアを村に案内した。明るく優しいマダン副校長は、スピーカーを使わなくても良いほどの大声で、歩きながら村人に出てくるよう呼びかけた。
「こうした方法で子供たちを惹きつけて、学校に呼び戻すのです」とマダンさんは快活に言った。
マダンさんは、わざわざ小さな雑貨屋に寄ってキャンディーを買った。そして、通りすがりの子供に「キャンディーをあげる。学校が始まったら授業に来るんだよ。来なかったら二つ返してもらうよ」とキャンディーを渡しながら言った。面白い生徒募集の方法に皆が笑った。
教師は生徒募集のチラシを村に貼って、学校開始の日に子供たちが学校に戻ることを忘れないよう促した。五歳の男の子、父親がマレーシアに出稼ぎに行っているミューケス君は、母親の傍に立って、躊躇しながらこう言った。「僕は出生証明書がないのです」。
ミューケス君は学校に行きたかったが、両親はそれが分かっていなかった。マダンさんは可哀そうなミューケス君の頭を撫でて、母親に声をかけた。「この子を学校に行かせる気があるなら、出生証明書の申請と学籍登録は、学校が村長を通じて手伝いますよ」。
親しみ易いマダン副校長は、村の子供たちと仲がいい。「君たちは彼らを知っているかい?」と紺のシャツに白のズボン姿のボランティアを指さしながら聞いた。「知っているよ、ここに住んでるから」と子供たちが可愛らしく答えた。活気に満ちた温かい雰囲気の中で、雑貨屋の店主も、子供たちが教育を受けられるよう熱心に活動するボランティアに感動して、ビスケットをご馳走してくれた。
低い進学率、高すぎる中退率
ネパールの十年間の無料義務教育は、小学校が一年生から五年生まで、初等教育の中学校が六年生から八年生まで、中等中学校が九年生から十年生までである。十年生で中等教育試験に合格すると高校への入学資格を取得することができ、十二年生以降が大学教育となる。
あらゆる子供は十年間の無料教育を受けられるようになってはいるが、中退した生徒を復学させることは依然として課題である。
二〇二一年の政府経済調査報告書によると、約六割の生徒が十年生までしか就学せず、順調に十二年生まで進学するのは三割に満たない。
農村の子供たちの進学率が低いのは、貧困が主な原因である。親は家族を養うために子供たちを早くから働かせることが多く、それに親も教育を受けていないため、教育の重要性が分かってなく、子供を農夫や労働者或いは出国して出稼ぎ労働者にするだけで十分だと思っている。地元の伝統的な考えは女子より男子が重視され、進学のチャンスを息子に与え、娘は嫁に行くまで家事手伝いとして家に残している。また学校のインフラ不足や学習環境の不備も高い中退率につながっている。
人口八万八千人余りのルンビニ文化市を例に挙げると、全市には公立学校が三十二校もあるが、そのうち十年生までの学校が九校、十二年生まであるのは僅か四校だけで、教室や教師の不足により、一つの教室に七十人以上の子供がひしめき合いながら教育を受けている学校もある。
「ここの中学校や高校は単独の運営ではなく、一年生から一貫した学校で、もし通っている学校が八年生までしかない場合、他の地方で九年生のある学校に進学しなければなりません」と地元に長期駐在しているシンガポールの慈済ボランティア、呉南凱(ウー・ナンカイ)さんが説明した。
ルンビニで学校を運営するのは容易なことではなく、たとえ公立学校であっても、村に出向いて生徒を募集しなければならない。子供たちに学校へ来るよう促し、親にも教育の大切さを訴える必要がある。二〇二三年四月下旬、新学期が始まる前、各地の小中学校の校長や教師たちは何度も村から村を回って生徒を募集しに行った。地元で「中途退学者ゼロ計画」を推進する慈済ボランティアも積極的に手伝い、学校側の家庭訪問による募集活動に参加し、一緒に子供たちを教室に呼び戻している。
その日、シッダールタ小学校のアルタフ校長もボランティアチームと共に生徒の募集に向かった。ルンビニ第四区のマヌラ村の住民の多半はムスリムで、同じムスリムのアルタフ校長が推薦内容を説明した結果、住民たちはこぞって出生証明書を提示して、子供の入学手続きをした。
「実際に生徒たちの家庭を訪問して初めて、彼らの困窮が理解できるのです。外からの支援も子供たちの心に届くことを期待し、彼らの苦労を理解した上で、地域の教育がより良い未来をもたらすようにするのです」とブッダ・アダルシャ中学校のハリモハン副校長が言った。
保護者の考え方が変れば、次世代の人生が変わる
二十五歳のシフシャンカさんは、二〇一九年にブッダ・アダルシャ中学校の十二年生を卒業し、大学の工学科に行きたかったが、家庭の経済的な事情で進学できず、自宅で農業に従事することになった。
九年生を終えた十八歳のフルクマリさんは、「家で人手が必要な上に、一人で他の地方の学校に行くのも危ない」などの理由で中退したが、彼女はこのことで数日間も泣き続けた。
家庭訪問したボランティアは彼女に、「勉強を続けたいですか?」と聞くと、彼女はすぐに頷いた。傍にいた母親が彼女を制止した。嫁がせるつもりだった。フクマリさんは「勉強がしたい」と主張した。以前にも学校に行くチャンスを逃したことがあるので、今度こそはしっかりと掴みたかった。
「ネパールでは、十二年生を終了できるのは三人に一人しかいません。残念なことに、この割合はとても低く、何としても支援したいのです」。ルンビニで「中途退学者ゼロ計画」を推進するマレーシアの慈済ボランティア、蘇祈逢(スー・チーフォン)さんは、二十校以上の教師と心を込めて話し合った。慈済の希望としては、中退した子供たちを一人残らず復学させたいのだ。「貧困や家族の病気などの理由で子供が学校に通えない家庭があれば、名簿にして提出してください。慈済は適切に補助金や交通手段などを提供して、就学の困難を克服させます」。
慈済ボランティアは二〇二二年四月からルンビニに駐在し始めた。十二月から学生支援活動を展開し、学用品の配付や昼の給食、バス代などを補助した。蘇さんによると、既に地元公立学校の七割に当たる二十三校がこの計画に参加している。また、慈済は多くの学校に給水ポンプの設置を支援して、飲料水の安全確保と供水問題を解決している他、手洗いなどの衛生教育を続けている。「物資の配付は短期的ですが、人文素養は長期的に育まなければなりません」。今年七月の統計によると、地元ボランティアは既に十校と協力して、週に一回学校に行って、静思語と生活教育を推進している。
ブッダの足跡を尋ね、国境を越えてインドへ
慈済は今年の二月、仏陀誕生の地であるルンビニでの経験を仏陀の成道聖地であるインドのブッダガヤに広げた。「当地の多くの子どもはダリット(抑圧された人々)という身分のために、乞食になって路上生活者になっており、ネパールの子供たちよりももっと苦労しています」と蘇さんが言った。三月中旬からボランティアチームはブッダガヤに駐在して、スジャータ村とスロンガ村に入り、この最も底辺にある二つのダリットの人々が住む村で、慈善と教育を同時に推進し始めた。
教育は人々の視野を広げ、観念の転換を促し、また家庭経済を転換させることができる。ボランティアチームは證厳法師の教えをしっかりと胸に刻んでいると蘇さんは言った。たとえ言葉の違いや厳しい気候、文化のギャップに直面しても、昨年から今年にかけて接触した学校では、すでに改善が進んでいる様子が見られた。現地の状況は厳しいが、支援で良い縁を結び、「この乾いて亀裂の入った大地を雨と法水で潤せば、人間(じんかん)に希望が見えて来るでしょう」。
(慈済月刊六八一期より)