人を育てるのに百年 仏陀の故郷に恩返し

編集者の言葉

昨年の四月以来、マレーシアとシンガポールの慈済人が相次いでネパールのルンビニに行き、今年三月からは、更にインド北部にある仏教の聖地に駐在している。ブッダの故郷で、貧困やカースト制度の故に学校を中退した多くの子供たちが学校に戻ることができるよう、慈済ボランティアは一戸一戸を訪ね回っている。

現地のカースト制度は数千年にわたって深く根付いており、保護者も子供に教育を受けさせる概念に乏しいため、このような欠如した宿命が代々にわたって受け継がれてきた。ボランティアたちは、貧困救済と医療課題を解決すると同時に、教育の普及と深化が貧困から抜け出させる根本的な方法だと理解しているが、それは決して容易なことではない。七月五日のボランティア日誌には、こう書いてある。「今日は、登校して来た生徒の人数が非常に少なかった。校長先生によると、丁度田植えで忙しい時期だから、多くの子供は手伝いに行っているからだという。なぜならこの時期に農作業をしないと、収穫が無くなってしまうことになるからだ」。

一年余りの付き添いを経て、マレーシアとシンガポールのボランティアは、教育の影響力が地元の保護者、教師と生徒間の相互交流に微妙な変化をもたらしていることを見て取った。親子運動会でも、静思語の授業でも、さらに手洗い、歯磨き、食器の使用など衛生教育の推進においても、様々な変化が見られたことに、驚きと喜びを感じた。

慈済がコミュニティで運営している裁縫職業訓練クラスでも、優れた人材が育成されている。クラスで最も貧しいバサさんは、五年前、学校には行かないと父親に言ったが、親の負担を軽くしたいから、とまでは言わなかった。今、彼女は人生で初めて給料を受け取り、それを全部、父親に渡した。職業訓練を通して自分の才能に気づくと共に、家計を助けることができる喜びも味わった。今月号のテーマ報道では、読者の皆様も彼女たちの喜びを感じ取ってくれることだろう。

印順導師が託した「仏教の為、衆生の為」という言葉を守り、證厳法師は、たゆまぬ努力を続けて人間(じんかん)で仏法を実践し、衆生を利してきた。この五十七年の間に、慈済宗門が立ち上げられ、各志業は揺らぎないものになったが、法師は数千年にわたって貧困と病に苦しんでいるブッダの故郷の人々が気に掛かっているのだ。「私たちは二千五百年余り前の仏陀の精神理念を継承しています。私たちが愛のエネルギーを結集して成したあらゆることを、二千五百年後の人々が見てくれるよう願っています」。

花蓮に続いて、高雄で経蔵劇『静思法髄妙蓮華』の公演が行われたが、その後、今年七月下旬には彰化で八回の経蔵劇『無量義・法髄頌』の公演が、そして十月には台北アリーナで、その後は海外での公演が予定されている。

仏陀の故郷への恩返しはもちろん、『妙法蓮華経』と『無量義経』を慈済の半世紀以上にわたる慈善の足跡と融合させることも、経蔵劇という芸術を世の人の目の前に披露して後世に伝えていく意味を持っている。そして、これら全てが、「仏教のため、衆生のため」であり、法師の深い願いなのである。

(慈済月刊六八一期より)

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