配付する物資はどんなに多くても限られていますが、
口から出た良い言葉は、人に受け入れられれば、
一生役に立ちます。
仏法をネパールに持ち帰る
ネパールのルンビニでプロジェクトを推進している師兄や師姐たちは、オンラインビデオ通話を通じて、上人に進捗状況を報告しました。上人は、攝氏四十度以上の高温の環境で活動していることが忍びなく、皆の「苦労」を労いました。彼らは発心立願し、快適な生活環境から出て、仏陀の故郷に足を踏み入れました。そして、高温と暑さもさることながら、それ以上に、現地の住民の貧しさと苦難に憐れみを感じ、直ちに縁を逃さず、仏陀の智慧と愛をネパールに持ち帰って広い菩薩道を敷きたい、と考えました。
「私はとても幸せな人間だと思います。台湾と縁があるからです。今、台湾に慈済があって、仏陀の精神でもって大きな道を切り拓いて来ました。一寸一歩、近い所から始めて遠い所まで前進し続けています。実際、この菩薩大道はどこから来たのでしょうか?それは今あなたたちが踏んでいる大地からです。仏法はネパールで隆盛を見ることはできませんでしたが、その時、既に他の国々へ伝わっていました。過去に玄奘法師が西に行って仏法を求め、鳩摩羅什法師が東で仏法を伝えました。そして、あなたたちは今、仏陀の故郷に戻って、仏陀の教えに基づいた菩薩法で住民の苦しみを救おうとしています」。
ルンビニ文化市にある、アマ衛生センターは、厳しい環境にあり、水源が不足していた。慈済が井戸を掘ることを支援し、今年5月に近隣の住民たちはやっと、厳しい暑さの中で浄水を手に入れることができるようになった。(撮影・張美玲)
「現地の住民を救済する方法は、あなたたちの心から出た誠意と、あなたたちの福報に発しています。あなたも私も大きな福報がありますが、実は、苦しんでいる眾生にも彼らなりの福があるのです。人間(じんかん)菩薩に出会うという良い縁さえあれば、私たちはその力を使って、良い縁を結集することで、彼らは私たちの助けを得ることができるのです。しかし、もし彼らに福がなく、私たちと縁がなければ、顔を会わせる機会すらなく、ましてや助けを得ることはできません。彼らが助けを得られるのは、彼ら自身の運命に福縁があるからです。そして、あなたたちは、自らの手で施しを行い、人助けする喜びを感じる一方で、支援を受け入れてくれる側にも感謝しなければなりません。『苦難が取り除かれた後、説法をする』ことで、彼らの心に善の種を蒔いていくのです」。
上人は、「慈済人が到達し、善行を行って幸福をもたらすことができる土地は、即ち福ある土地であり、慈済人は直ちにそこに種を蒔かなければいけません。提供する物資はいくら多くても限られていますが、説かれた仏法を住民が受け入れれば、一生にわたって恩恵となるのです。シンガポールとマレーシアの慈済人がルンビニで、心して『静思語』を広めてくれていることにとても感謝しています。短い文章でも簡単で分かり易い道理があり、学校の先生であっても一般の人であっても受け入れることができ、心に留めて、日常生活に活かしていくのです」と言いました。
「仏陀の故郷は私たちの慧命のふるさとでもあるのです。あなたたちがマレーシアとシンガポールに戻って仏陀の故郷の状況を広く人々と共有することで、人々に愛の心を啓発してくれることを期待しています。目に見える支援をするにしても、奉仕するために発心立願してネパールに出向くにしても、よく準備をして、ネパールでのボランティアが交代で途切れないようになることを願っています」。
上人は、弟子たちが代わりに仏陀の故郷に行ってくれていることに感謝しています。「私は自ら行くことができなくても、皆さんがまるで私を連れて行っているかのように、映像を送ってくれています。自分でネパールやインドの景色を見ると共に、「藍天白雲」(紺のシャツに白いパンツ姿)の慈済人たちも見ることができました。皆、灼熱の太陽の下、その熱い大地を踏みしめながら、貧しい人々を助けるために奔走しています。しかし、やはり皆さんには外の強い日差しの下で作業しないでほしいのです。木陰で地元の人々と交流し、説法してください。仏陀も菩提樹の下で説法をしました。今、あなたたちは「仏心師志」という四文字を携えてそこに行っているのですから、人々を大樹の下に集め、そこで仏法や静思法脈を聞いてもらい、静思語を話してあげ、『竹筒歳月』の話をしてあげることで、善の念を啓発し、福田を耕すよう、励ますのです」。
また、上人はこう言いました。「あなたたちは、ネパールで福田を耕しているのです。この広大な福田に善の種をしっかり蒔き、地元の人々が勤勉に、積極的に生活に立ち向かうよう指導するのです。あなたたちが彼らに衛生的な環境を維持するように教えたことで、慈済人に倣って、元来は汚れていた環境を整えるようになったことが良い例です。そして、小さい子供たちですらゴミを拾い、物を整頓し、リサイクルした物を使って、手工芸品を作るようになりました。もしかしたら、彼らが手工芸品を作り、販売することで、生活の足しになることを教えるのも良いかもしれません。師兄師姐たちが智慧を発揮して、現地に幸福をもたらしていることに感謝しています。これこそが、まさに福と慧の双方を修行することなのです」。
(慈済月刊六八一期より)