一分間でできる—避難スペース 完成!

2010年、パキスタンは100年に一度の大洪水に見舞われた。慈済災害救援チームは10月、被害の大きかったシンド州タッター県で現地調査を行った。生後15日の女の赤ちゃん、シャナ(中央)は両親と共に粗末なテントの下にいた。(撮影・蕭耀華)

素早く設置できて、プライバシーにも配慮した「一分間でできる避難スペース」は、回収した「再生原料」で作られており、慈済の災害支援だけでなく、蚊帳と間仕切りテントは、アメリカの慈善団体からも備蓄物資として認定されている。

【慈済の活動XSDGs】シリーズ

二〇一〇年十月、女の赤ちゃん、シャナは洪水後に誕生した。その時パキスタンは、主要河川であるインダス川が氾濫して百九十万棟の住宅が損壊し、二千万人以上が被災した状態だったので、慈済ボランティアがシンド州でその家族に出会った時、全財産を失った彼らは、木の棒で一枚の布を支えた中に寝泊まりしていた。生まれたばかりの赤ちゃんは、ぬかるんだ地べたにむしろとシーツを敷いた上に寝かせるしかなかった。

「被災した人々はとても苦しんでいましたが、それ以上に、水浸しの地面に寝かせておくなど、見て耐えられることではなく、私はずっと気が気ではありませんでした」。映像を通してシャナたち一家の厳しい状況を目にした證厳法師は、ただちに災害支援チームに対し、何とかして被災者の居住環境を改善し、最低ベッドだけでも確保するようにと指示した。時間がなく、必要な数も多かったため、災害支援チームはアメリカのボランティア、張義朗(ヅァン・イーロン)さんに、開発中の「プラダン製組み立て式ベッド」を生産ラインに乗せられないか、と打診した。

二〇一〇年末、九千六百セット余りのベッドが、数回に分けてパキスタンの被災地に届けられた。そのベッドの枠は細長いプラスチック板を「井」の字の形に交差させてあり、地面からわずか十センチの高さしかないという応急的なものだったが、それでも住民たちに喜ばれた。ベッドがあれば、テント暮らしとはいえ、少しは暖かく眠ることができるからだ。

パキスタンでの災害支援の経験は、安心して過ごせる設備の重要性を浮き彫りにした。法師はその設計を、フィリピンの慈済ファミリー出身の建築士・蔡思一(ツァイ・スーイー)博士に委ねた。元々慈済営建処(建設部門)に所属し、病院の建築設計を担当していた蔡さんは、それ以降、工業デザインの分野に踏み出し、人助けのための「神器」を設計する、職業と志業を兼ねた道を開拓した。

「その時すでに折り畳み式のものを構想していました。折り畳み式と組み立て式とでは、実は全く方向性が異なるのです。組み立てには時間がかかり、慣れていないと方法を間違えるかもしれません。そこで、できるだけシンプルで、工具を使わず、繰り返し使えて運びやすいものを目指しました」と蔡さんは当初の設計コンセプトについて語った。

蔡さんは、まず先人たちの研究成果を振り返った。スチール製のパイプベッド、キャンプ用の折り畳みベッド、エアーベッドなどの長所と短所を詳細に分析し、災害支援の現場における実用性を検討した結果、蔡さんは独自の道を進まなければならないことに気づいた。

台風30号(ハイエン)によって深刻な被害を受けたフィリピン・レイテ州パロ町で行った配付の場所で、ボランティアが福慧ベッドの使い方を実演していた。(撮影・ナヤンシャ)

福慧ベッド、海を越えての初登場

洪水でベッドが水に浸かると、膨張して変形したり、錆びて傷んだりするため、蔡さんは食品用の高品質PP樹脂とステンレスパイプを組み合わせることにした。水に強く、洗浄や消毒もしやすい。だが、量産までには多くの課題があった。

最初に試作された「コンセプトベッド」は重量が二十キロを超え、暑い日に横たわると、蒸し暑くて不快だった。改良に改良を重ね、表面に丸い穴をびっしり開け、高さも三十センチ弱にした結果、強度と重量、通気性のバランスのよいベッドが完成した。「完成版」は、広げると少し狭いシングルベッドになる。折り畳めば重量も十五キロと軽く、手で持ち運ぶにも、車に積むにも、空輸するにも便利だった。

三年間にわたる研究と改良を経て、二〇一三年ついに、本格的な量産が始まった。その直後、過酷な災害現場での実地検証に臨むことになった。同年十一月、強い台風三十号(ハイエン)がフィリピンを襲い、大きな被害をもたらした。台湾とフィリピンの慈済人は、大勢の人と大量の物資を動員して災害支援にあたった。折り畳み可能で輸送しやすい福慧ベッドは、即座にその強みを発揮した。

「台風ハイエンの後、兄の昇航、姉の奇珊、妹の青児がみんな援助のためにフィリピンの最前線に行きましたが、私だけは花蓮に残りました。当時、福慧ベッドはまだ新しい製品で、私は、どうやって大量に運ぶか、どう梱包するかといった後方作業に当たらなければならなかったからです」と蔡さんは福慧ベッドをフィリピンに輸送した時のことを振り返った。福慧ベッドは四十フィートコンテナに五百床積むことができた。折り畳めない普通のベッドなら二、三十床でいっぱいになっただろう。

福慧ベッドは台風ハイエンの被災者に休息をもたらした他、慈済の支援で建設されたオルモック大愛村の仮設住宅の入居祝いにも使われた。また、アジアだけでなく、アメリカ大陸、ヨーロッパ、アフリカの各国で、避難生活を支える力を発揮している。台湾でも緊急援助に活用され、「百年たっても分解されない」というプラスチックの弊害が、逆に「高い耐久性」という長所へ転換を遂げている。

二〇二四年七月、台南の慈済ボランティアが台風三号(ケーミー)の被災者を見舞うため、白河区河東里の糞箕湖を訪れた時、福慧ベッドを高圧洗浄機で洗っている人を見かけた。話を聞くと、その家は二〇一八年八月の熱帯低気圧による水害で被災し、ベッドが水に浸かって使えなくなってしまったため、ボランティアが急いで福慧ベッドを届けたのだという。

復旧後に新しいベッドを購入したものの、思いもよらず、六年後に再び水害が発生し、ベッドがまた水に浸かってダメになってしまったそうだ。しかし、幸いにも福慧ベッドは流されず、外に出して洗い、日光で乾かせば使うことができた。

福慧ベッドは、ドイツのレッド・ドット・デザイン賞「最高品質賞」を受賞した。蔡さんも福慧ベッドをはじめとする優れた生活、災害支援用品の設計が評価されたことで、台湾十大傑出青年「華僑青年特別賞」を受賞した。しかし彼は、すべての功績は自分の心の中の最も偉大な「デザイナー」のものだと言う。

「実のところ、どれも法師の智慧による発明です。私たちの手を通して、それを形にしただけなのです」と蔡さんは敬意を込めて言った。

カートにもなる収納棚

福慧ベッドと同様に折り畳み式で運搬しやすい福慧テーブルと椅子は、蔡さんの発明だが、避難時に必要な道具一式へと次第に「常備品化」され、緊急時にも安心して過ごせるようになった。しかし、二〇一八年の〇二〇六花蓮地震の時に蔡さんは、ある重要な物を想定していなかったことに気づき、愕然とした。

「当時、余震を恐れて自宅に戻れない人が大勢いました。精舎の師父や慈済人たちは、すぐに温かい食事や福慧ベッドを避難所に届けました。法師は、私にも何か改善できるところはないか見てきてほしいとおっしゃいました」。

花蓮県立体育館に避難した住民たちは、福慧ベッドとエコ毛布などの必要な備品を受け取り、食料の心配もなかったが、広い体育館の中は、まるで数百人が寝起きする「大部屋」のような状態で、何をするにも、プライバシーと言えるようなものはほぼ皆無だった。そして物を収納することもできなかったため、多くの人が自分の持ち物と支援機関から配付された物を福慧ベッドの下に押し込んでいた。

避難所の問題点を知った法師は、蔡さんに間仕切りと収納棚の開発を指示した。翌年には「エコ福慧間仕切りテント」が完成した。使用されている生地は、リサイクルされた六百ミリリットル入りのペットボトル二百八十本分から作られている。広げた時の面積は一・八坪ほどあり、中には福慧ベッド二台と福慧テーブルと椅子の一セットを置くことができる。高さは百六十五センチあり、ほとんどの人の目線を遮ることができた。

福慧間仕切りテントは登場するや否や、直ちに各地の慈済災害対応チームに導入された。二〇二四年の〇四〇三花蓮地震では、中華小学校などの避難所に大勢の被災者が押し寄せたが、慈済人はこれまでと同様、毛布と温かい食事、福慧ベッドなどの物資を提供した。ただ、これまでと違っていたのは、福慧間仕切りテントがあったことだ。これまでと比べてプライバシーの確保が格段に向上し、他人の目をはばかることなく赤ちゃんのおむつ替えや大人の着替え、さらには気兼ねなく悲しみを吐露することができるようになった。

しかし、実際に使ってみると、改善すべき点も見つかった。蔡さんによると、「見た目はシンプルですが、日頃から使い方と畳み方を練習しておく必要があります。それに、〇四〇三花蓮地震の後に気づいたのですが、各地に一定量を備蓄しておかないと、いざという時にボランティアが汽車で運ばなければならなくなるのです」。

短期間で設計して量産を開始した福慧間仕切りテントに比べ、収納棚の開発は六~七年もの長い歳月を要し、二〇二五年の年初にやっと完成して発表にこぎ着けた。なぜそれほど時間がかかったのだろうか。

「収納棚にもなり、カートにもなるという、そんな製品はどこにもなかったので、開発にはずいぶん頭を使いました」と蔡さんは話す。「福慧収納棚」の設計コンセプトの出発点は、災害時には配付した食糧を運搬し収納する必要があるからだった。被災者が受け取る穀物や油、日用品などは、合わせると二十キロ以上になることも多く、しかも、受け取りに来る人の多くは女性や高齢者である。それでも重い荷物を持って、長い距離を歩いて帰らなければならなかった。

「ですから、引いて運べるだけでなく、家に帰った後も積み重ね、衣装ケースや本棚、食器棚として利用できるようにしました。貧しい家では、食べ物を入れる場所がないとネズミに食べられてしまうので、法師は、戸棚に入れて守る必要があるとおっしゃいました」。

収納棚の形が決まったことで、蔡さんが思い描いていた「一分間でできる避難スペース」はついに完成した。この一式は二人部屋を想定しており、福慧ベッド二台、蚊帳二張、日用品二セット、収納棚六つ、さらに間仕切りテントと福慧テーブルと椅子が一つずつ付いている。「しかも、すべて環境に優しい素材で作られています。それが私たちのこだわりです」と蔡さんは補足した。

今年1月の嘉南地震の際、台南市楠西区に開設された避難所。慈済は福慧間仕切りテント、福慧ベッド、エコ毛布を提供し、安心して過ごせるスペースを設置した。(撮影・王永周)

福慧テントはさまざまな場面で活用されている。アメリカ・カリフォルニア州キャンベル市で行われた地域施療活動でも、間仕切りテントは診療中のプライバシー確保に役立った。(撮影・蒋国安)

世界の舞台に立った「避難所七宝」

環境保全を着実に進めるために、蔡さんが設計した一式は、原材料を、すべて「バージン原料」から回収物由来の「再生原料」へと切り替えられた。間仕切りテントと蚊帳などの生地の部分はペットボトルから作られ、テーブル・椅子・ベッド・収納棚などの素材は、回収された電子工場の基板スロットやPPカップなどを使い、環境保全と慈善を結びつけて、循環型経済を実践し、サステナビリティを推進している。

二〇二四年四月、慈済はアメリカ連邦緊急事態管理庁(FEMA)の本部で「諸宗教指導者気候レジリエンス円卓会議」を開催すると同時に、「避難所七宝」を展示した。エコ毛布と六種類の「ジンスー福慧家具」(福慧ベッド、机、椅子、蚊帳、間仕切りテント、収納棚)で構成されているものだ。

アメリカの政府機関やNGOなど多くの参加者は、福慧間仕切りテントの中に入り、エコ毛布が敷かれた福慧ベッドに横になって体験した。そのうちの一人は、「とても丈夫なのが分かりました」と称賛した。

アメリカ政府の災害救助部門や赤十字社、救世軍などといった経験豊富な救済団体から高い評価を受けたことは、慈済が開発した製品が、さまざまな気候や環境の下でも、確実に命を守る力を発揮できることを示している。

慈済慈善事業基金会の曽慈慧(ズン・ツー・フイ)国際長によると、FEMAは慈済のエコ毛布に感銘を受けると共に、緊急援助活動における重要性を認識し、認定救済物資として登録したという。エコ毛布は、慈済がアメリカで援助を行う時に配付する物資として、今や欠かせないものとなっている。

緊急援助の七つの宝のうち、毛布以外に、蚊帳と間仕切りテントも協力パートナーから注目されている。曽さんによると、現在すでに二十を超えるアメリカの慈善救済団体が福慧間仕切りテントの購入を計画しているという。教会で不法移民を保護するために使用されたり、授乳室やカウンセリングルームとして活用されたりする場合もあるという。「蚊帳が重視されているのは、気候変動によって雨量が増え、水たまりが蚊やハエの発生源になっているからです。ですから私たちは、プライバシーを守る間仕切りテントと安全を守る蚊帳の二つを備えることが重要だと強調しています」。

慈済が災害支援のために開発してきた製品は、理念や環境への配慮、創意工夫のどの面でも非常に優れているが、最大の「欠点」はまだ数が足りないことだ、と曽さんは考えている。

エコ毛布を例にとると、国連の緊急対応基準を満たすには、平時から四十フィートコンテナ約四十個分の備蓄が必要であり、慈済の現在の在庫量ではまだまだ足りない。益々、深刻化する気候変動による災害に対応するために、エコ毛布、福慧ベッド、福慧間仕切りテントなどの物資の生産と備蓄量を増やしていきたいと曽さんは思っている。

開発を始めてから現在に至るまで、慈済の緊急援助のための「神器」は、たゆまぬ改良が重ねられてきた。「一分間でできる避難スペース」を完成させた蔡さんは、次のステップとして「屋外での避難スペース」に取り組むそうだ。住む家がなく、辛い野宿を強いられる人々のために、「五分で建てられる家をつくり、安心して寝泊まりできる場所を提供したい」と、蔡さんはデザイナーとしての意欲を語った。(参考資料提供・慈済高雄オンライン勉強会)

気候災害への対応に国際的な関心が高まる中、イギリス・アストン大学でフォーラムが開催され、イギリス、台湾、日本の専門家による意見交換が行われた。ジンスーテクノロジー開発長の蔡思一さん(左)は、ジンスー福慧間仕切りテントと福慧家具の設計理念や活用事例を紹介した。(撮影・王素真)

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