慈済エコ福祉用具プラットフォームの台北内湖拠点が設立されて三年、回収と運送件数は十倍に激増し、平均して一日に四・五件の福祉用具を運んでいる。
ボランティアは介護者の重荷を代わりに担うことはできないかもしれないが、彼らが家族を介護する場合のストレスの軽減に努めている。
重いベッドフレームをエレベーターのないアパートの上層階に運ぶのは容易ではない。ボランティアたちは戦々恐々として、怪我をしないように注意している。
週末の早朝、一台の白い小型トラックが、台北慈済内湖志業パークから申請者たちに届けるために、三台の介護用電動ベッドとマットレス、エアマットレス(ベッド)及び車椅子、トイレチェア等の福祉用具を載せて出発した。
出発する前、ボランティアの姜禮強(ジェン・リーチャン)さんは、丁寧に福祉用具をチェックしながら、「一つ一つチェックしなければ、忘れものがあるかもしれません。そうなると、もう一度行き来しなければなりませんから」と言った。他のボランティアは忙しく福祉用具を車の上に固定し、走る途中で動いてぶつけないようにした。内湖福祉用具プラットフォーム拠点窓口の呉敦栄(ウー・ドンロン)さんは、何人かの申請者に連絡して、翌日のスケジュールを話し合った。
数年前、呉さんのお母さんは血糖値が上がりすぎて転倒してしまい、臀部を骨折したので、車椅子で生活する必要があった。当時、内湖リサイクルステーションが回収した車椅子で当面の急場を凌いだのだが、母親の行動を助けることができてとても役に立った。彼はそれに深く感動したことで、慈済エコ福祉用具プラットフォームのチームに参加するようになり、コミュニティに恩返しして大衆に奉仕している。
姜さんは二十年余り前に、すでに福祉用具を届けた経験がある。彼は豚肉フレーク工場を経営していたが、每日朝早くからフレークを作るために、七〜八十頭の豚をトラックで運んでいた。慈済に加わってからはベジタリアン食を作るようになり、リサイクルにも取り組むうちに、回収された病床や車椅子に出会った。最初はそれを分解して回収していたが、後に浪費だと思うようになった。それを必要としている人がいることを聞くと、自ら届けに行った。「あの時は今のような規模ではなく、使えるものがあれば、そのまま必要な人に届けていました」。
慈済エコ福祉用具プラットフォームの内湖拠点が二〇二二年設立された時、申請案件は八十三件だったが、二〇二四年には五百六十件になった。さらに驚くべきは、運搬量が百六十一件から千六百五十二件まで増えたことである。平均して毎日四・五件を運んでいることになり、ボランティアたちの責任も益々重くなっている。洗浄消毒チームは、気温が低く寒い日でも同じように用具の洗浄と消毒に専念し、申請者が清潔で新品のような福祉用具を受け取れるようにしている。そして、整備チームは部屋の一角で黙々と故障した福祉用具を修理し、舞台裏の秘書チームと運搬チームは、毎日各自の持ち場で頑張っている。
台湾全土で一日に百件を配送している
現在、離島の金門、馬祖を含めた台湾全土の各自治体にエコ福祉用具プラットフォームが設立され、合計で百三十余りの拠点がある。二○二四年を例にとると、ボランティアは平均して毎日百十件のエコ福祉用具を配送している。中古の福祉用具の寿命を延ばすだけでなく、物を大切にしたい申請者の気持ちにも沿っている。
エアマットレスは長年寝たきりの患者の床ずれ問題を助け、ハイバックの車椅子は脊椎問題を抱えた患者に普通以上のサポートと快適さが提供できる。福祉用具ボランティアの専門知識は、実務と教育トレーニングの中から学んだもので、介護者が安全にこれら器材を使用する上でサポートできるようになった。
福祉用具を届ける過程で、ボランティアたちは様々なチャレンジに直面する。彼らはそれを「レベルを超えてモンスターと戦う」と表現している。彼らは曲がりくねった道や険しい道路を通り、違法駐車の車両や山積みされた雑物をうまく通り抜けながら、目的地に届けているのだ。
時には、申請者は交通量が多い所に住んでいて、トラックの駐車が困難なため、ボランティアたちは徒步で運んでいるが、その途中で人々の温かさを感じることもある。「道路脇の店の店主は、私たちが福祉用具を運んでいることを知ると、駐車スペースを空けて暫く止めさせてくれるだけでなく、車も見張ってくれるのです」と呉さんは微笑んで言った。
運搬の過程は体力に対する一大試練でもある。特に電動ベッドがその最たるものである。ボランティアたちは、運ぶ時のスキルをよく身につけておく必要がある。さもないと怪我をしやすいからだ。また、古い建物にはエレベーターがないので、狭い階段に沿って上り下りしなければならず、曲がり角に来ると、チームの一層緊密な協力が必要である。
相手の笑顔を見ると、嬉しい
東湖路に住んでいる陳さんは、年老いた姑が寝たきりなので、エアマットレスが必要だ。ボランティアたちは旱天の慈雨のように、お母さんが退院する前に、それを家まで届け、そして、根気強く使用方法を説明した。陳さんは、ボランティアたちを階下まで見送ると言い張るほど感激しながら皆に感謝した。
同じように心温まる話がある。新明路の林さんのケースである。九十五歳という高齢の母親のために、病床を一台申請した。「お婆さん、お幾つですか?」「朝ご飯、食べましたか?」お婆さんは、年は取っていても、聴力が良くて、機転も利き、ボランティアたちとスムーズに受け答えしていた。ボランティアたちは、母親に対する家族の心遣いを感じて感動した。そして、母親の笑顔を見て、つくづく奉仕の意義を感じた。
運搬チームは回収した福祉用具を運んで戻ってくると、洗浄消毒チームに渡して清潔・整理する。修理や部品交換を済ませると、倉庫に保管して、申請者を待つ。
意気投合した人と一緒に福を呼ぶ車に乗る
七十歳過ぎのボランティア、詹飛雄(ヅァン・フェイション)さんは、運搬していた時に、絶えず自分の背中を叩いていた。実は、前回運搬した時に不注意で肉離れを起こし、まだ治っていなかったが、また任務に着いたのである。彼は「大した事ではありません。まだ、運べます!」と言った。ボランティアたちは彼を労って車の番をすればいいと勧めたが、彼は相変わらず何度も運搬の手伝いをし、苦労を厭わなかった。
ボランティアの張逸銘(ヅァン・イーミン)さんはコロナ禍を経験し、人生の無常を体得した。中国から台湾に帰ってから、全力でボランティア奉仕に投入した。彼は一年前に酸素濃縮器研修講座に参加して福祉用具チームと縁を結んでからは、運搬チームに加わるようになった。
この道のりで、ボランティアたちは愛と感動的な物語を分かち合うと共に、お互いに視野を広げた。それまでの職業とは関係なく、慈済のユニフォームを着れば、腰を屈めたり、運搬したり、祝福を届けたりして、皆が無私の気持ちで行動している。この福祉用具を運ぶトラックはまるで「福を呼ぶ車」だ。なぜなら、多くの福田を耕すボランティアを乗せ、一緒に有意義なことをしているからである。
帰り道で、互いの苦労を話し合う時、皆いつもこう答える。「確かに大変な仕事で疲れますが、また来ます!」彼らは、福祉用具を使用者の家に届けにいく時、生活における便利さを届けるだけでなく、それ以上に祝福を届けていると信じている。ある使用者は経済的に福祉用具の費用を負担することができない、と呉さんが分かち合った。「彼らが福祉用具を受け取った時の笑顔を見ると、私たちは奉仕に意義を感じます。私たちが使用者の代わりに生活の重荷を背負うことはできないかもしれませんが、彼らが家族を介護するストレスを軽減することはできます」。
(慈済月刊七〇一期より)


