インドネシア眼科施療—百人の白内障患者に新たな視野が開けた

白内障手術の翌日の再診は、いつも驚きと喜びに満ちている。看護師がそっとガーゼを外し、患者がゆっくりと目を開く。世界がパッと開け、再び取り戻した光明は、視力だけでなく人生そのものだ。

「指が何本見えますか」。術後の再診で、医療スタッフがブディオノさんの視力の回復状況を確認していた。(撮影・アリマミ・スリョ・アー)

四十一歳のスラメット・ブディオノさんは、警備員として働き、二人の子どもの父親である。彼は二〇二三年から右目が徐々にかすみ始めた。最初は異物が入った感じだけだったが、最終的には光と影を見分けることしかできなくなった。「歩いている時、平らな道だと思っても、よく物につまずいていました」。

白内障は彼の仕事にも影響を及ぼした。「会社は契約を更新してくれないかもしれません。私のような年齢では、新たに仕事を見つけるのは容易ではありません。早く治療を受けたいのですが、自分で貯金するしかありませんから、手術を受けられる日がいつになるのか、見当もつきません」。

ついに慈済で施療を受けるチャンスが訪れた。しかし、「もし失敗したらどうしよう?かえって失明してしまうのでは?」人生初めての手術だったため、喜びの中にも不安を抱いていた。彼は他の患者たちと一緒に手術を待ちながら、「最初は皆、知らない同士でしたが、お互いに励まし合ったりして、やがて新しい家族や友人のようになりました」と言った。

翌日の再診で右目のガーゼが外された瞬間、彼は、「以前は光しか感じませんでしたが、今は人の姿が見えるようになりました。鍵穴に間違いなく鍵を差し込めますし、安心して歩けるようになりました」と喜びと共に語った。

次々と患者が視力を取り戻すのを見て、眼科専門医のトリ・アグス・ハルヨノ医師は、「目が見えなかった人が、再び視力を取り戻す姿を見るのは、医師として最大の喜びです」と語った。

今年七月十九日から二十日にかけて、インドネシア・スラバヤのブラウィジャヤ軍病院で、慈済ボランティアはブラウィジャヤ第五軍区と協力して眼科の施療を行い、スラバヤ、シドアルジョ県、グレシック県、バンカラン県などの場所から患者が来た。これは慈済インドネシア支部が催した百四十九回目の大規模施療で、百四十二人の白内障患者と十九人の翼状片患者に無料の手術を施した。

一人が視力を取り戻すと家族全員に希望が持てる

四十七歳のスパルランさんは、かつては建設労働者として働いていたが、両目に白内障を患ってから失業し、すでに三年が経っている。彼が最も心配しているのは、前妻と子どもに生活費を送れなくなることである。

日常生活でいつも「壁」にぶつかり、鼻血を出すほど顔をよくぶつけていた。「ある時、母をバイクに乗せていたら、危うく柵にぶつかりそうになりました。それ以来、バイクに乗るのが怖くなり、自転車に替えましたが、それでも結果は同じで、最後には歩くことにしました」。

「もちろん良くなりたいと思いますが、経済的な事情があるのです」と語った彼は、施療に二度申し込んだものの、戸籍の問題で手術を受けられなかった、と言った。七月十二日、彼は姉のカセリンさんに付き添われて、慈済の術前検査会場にやってきた。そして、検査に合格しない人がたくさんいるのを見た二人は、とても不安になった。しかし、彼らは「慈済に感謝しています。朝から晩まで待っていましたが、空腹や喉の渇きを感じたことはありません。ボランティアの方々は優しくて、『まだ食べていない人はいませんか』とあちこちで声をかけてくれて、本当に親切でした」と言った。

医療スタッフがスパルランさんの名前を呼び、検査合格を示す黄色いカードが渡された時、カセリンさんは感動のあまり涙がこぼれそうになった。「弟がやっと手術を受けられるのです。家族の希望を託せる場所が見つかりました。そして、弟が回復して再び働けるようになり、子どもや家族を養えるように回復して欲しいです」。

七月十九日に手術を終えた後、スパルランさんの視力はまだぼやけていて、足元もおぼつかなかったが、顔には隠しきれない喜びが溢れていた。「ボランティアや医師は、皆本当に心を尽くしてくれました。私の他にも多くの患者を助けていました。本当に感謝しています」。しかし手術前に外した眼鏡は、すべての施療日程が終わっても見つからなかった、と彼が笑いながら言った。

一番驚いたのは、翌日の術後に検査をした時だった。看護師がそっと右目のガーゼを外し、丁寧に眼を清潔にしてくれた後、スパルランさんがゆっくりと目を開けると、目の前の世界が一気に広がったのである。「とても明るい!失くした眼鏡は見つかりませんでしたが、もう必要ないと思います。見えるようになったのですから」。

スパルランさん(右)は、7月12日の術前検査に訪れ、手術で視力が回復してほしいと期待した。(撮影・ドク)

一回の手術で、人生の後半が変わった

六十三歳のレティさんは、左目が白内障になって以来、景色は暗くしか見えず、照明の灯りは花火のように眩しく見えた。マッサージ師である彼女は、訪れる客を見分けることさえできなかった。

トラック運転手である四十六歳のアフマッド・ハフィトさんは、左目に白内障を患い、右目だけに頼って働いてきた。しかし、特に左折する時に不安を感じていて、よく後方からクラクションを鳴らされてはびっくりしていた。

視力に頼って生計を立てている彼らにとって、施療がいかに貴重な機会であるかは、生活の糧を得る能力を保つことからわかる。第五軍区司令官ルディ・サラディン少将は、白内障は小さな病気ではなく、患者の生活の質や仕事の能力、さらに社会的な交流にも大きな影響を及ぼす、と言った。また「眼科手術によって、直接恩恵を受けた人の暮らしは改善され、自立した自由な行動も取り戻せるのです。慈済という協力パートナーに心から感謝しています」。

慈済スラバヤ連絡処の責任者である范暁慧(ファン・シァオフェイ)さんは、今回のブラウィジャヤ軍区との協力は二度目だと言った。「軍病院全体を開放して、手術室を含めて私たちに使用させてくれたことに感謝しています」。

これほど多くの人が施療に来たのを見て、范さんの心には喜びと悲しみが入り混じる複雑な気持ちだった。「慈済が、こんなに多くの人に光明を取り戻していることは嬉しいのですが、東ジャワ全体にはまだ支援を待っている白内障患者が数多くいることを思うと、心苦しくなります。スラバヤ慈済がさらにパートナーを得て支援体制を整え、もっと多くの施療が行われることを願っています」。

今回、ジャカルタから七人のボランティアが飛行機でスラバヤへ駆けつけ、現地の慈済人医会チームと共に奉仕した。施療の責任者である陳柚霖(チェン・ユーリン)さんは、嬉しそうにこう言った。「皆さんが苦労を厭わず、積極的に支援し、惜しみなく知識を分ち合ってくれたことに感謝しています。手術が成功した患者さんの姿を見ると、私は胸が熱くなりました」。

(慈済月刊七〇六期より)

慈済インドネシアの施療活動

  • 1995年 タンゲラン衛生局と協力し、結核患者に栄養食品と薬品を提供。
  • 1999年 初めて大規模な施療活動を実施、診療科目を増やし、サービス地域を拡大。
  • 2002年11月10日 インドネシア慈済人医会が設立され、定期的な施療と災害時の医療活動に投入。
  • 23年間に行った大小の施療により、延べ29万人以上が恩恵を受けた。

第149回の施療

日程:2025年7月19日〜20日
場所:スラバヤ市ブラウィジャヤ軍病院
受益者:161人

  • 4つの県と市から受診に来た患者は、屋外での労働者が多く、紫外線や砂塵の多い環境で白内障や翼状片の罹患率が高くなっていた。
  • インドネシアには約360万人の失明者が存在し、その中の約70%が白内障によるものだ。
  • 失明者のうち、43%は手術費用が負担できず、25%は治療可能であることを知らないか、また、恐怖心や付き添いがいないなど、数々の原因で受診していなかった。
  • 眼科の医療資源は都市部に集中し、農村部や僻地では受診困難。

(出典・非営利組織フレッド・ホウルズ基金会のウェブサイト)

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