花東地域の多くの建設作業員や土木作業員は、普段は県外の大規模工事現場で働いている。
地震発生後、修繕の需要が急増したが、建設作業員は人手不足だった。
復興は一刻を争うことから、
慈済は全国からボランティアを募ることを決めた。
台九線で車を走らせ、「玉里方面」と書かれた道路標識を見ながら、今日は「九一八池上地震」発生から十一日目であることを思いだした。あの日、日曜日の午後二時四十四分に、マグニチュード六・八の強い地震が発生し、立っていられないほどだった。僅か二十数秒だったが、とても長く感じられた。
その時、證厳法師は静思精舍で、慈善事業基金会の顔博文執行長、医療志業の林俊龍執行長と会議をしている最中だった。地震波が来て、建物が揺れ、物がぶつかる音があちこちから聞こえた。揺れが収まるのを待って、法師は直ちに常住師父らに、震源地である台東池上一帯のベテラン委員たちに連絡するように言った。顔執行長も直ぐ法脈宗門事務室に戻り、陣頭指揮を執った。その後、清修士や慈善志業発展処の職員も順次到着し、慈済は迅速に総指揮センターを設置して、震災後の支援に備えた。
数日間連続して、顔執行長は基金会の慈発処、営建処、宗教処などのチームと共に深刻な被害を受けた啓模里、中城里など玉里鎮のいくつかの里を回って慰問した。また、花蓮県政府の職員や各里の里長と共に家屋が損壊した住民を訪問し、被害状況を把握した。
九月二十六日、法師に震災後の復興計画を報告した時、法師は一人暮らしの高齢者や障害を持つ人など社会的に立場の弱い人々を最も心配していた。特に一人暮らしの人や、住宅が被害を受けて安全面で不安があって、行く当てのない人を支援する必要があり、慎重に検討するよう我々に注意を促した。
法師からの言いつけを心に刻み、花蓮本部のチームは、一刻も早く家屋の再建や修繕ができるよう迅速に調整を行った。しかし、花東地方の多くの建設作業員や土木作業員は、普段は県外の大規模工事現場で働いているため、震災後で需要が急増したことも手伝って、深刻な人手不足に陥った。
復興は一刻を争うことから、チームで検討した結果、広くボランティアを募ることを決めた。またプロの修繕作業員にも加わってもらうことにした。このほか、慈済ボランティアの中には建設・土木作業や左官職が本職で、近年、慈済が台湾全土の一人暮らしの高齢者や高齢者世帯、障がい者や恵まれない家庭で、慈済の「安穏家園、美善コミュティ」計画(略称 安美プロジェクト)に応えて、屋内に手すりを取り付けたり、滑り止め対策を行ったり、洋式便座を取り付けるなど居住環境と安全性を高める取り組みに参加しているので、当然ながら、この施工チームにも声をかけた。
各地から集まったボランティアが玉里静思堂で修繕作業の準備を行った。慈発処職員の劉秋伶が皆に作業を説明していた。(撮影・徐金生)
修繕新鋭軍
身を守って安心を届ける
震災発生から十一日後、慈済は第一陣の修繕ボランティアチームを立ち上げ、玉里に集合して被災した住宅の視察を展開した。高雄の修繕チームは建築建設に詳しい王献聡(ワン・シエンツォン)師兄と王啓圳(ワン・チーチェン)建築士、そして協力企業や建設作業員など最も人員が揃っていた。家屋の損壊状況の評価も専門的で迅速だった。北部、中部のボランティア修繕チームも引けを取らず、北部は蔡明鴻(ツァイ・ミンホン)師兄、呉啓明(ウー・チーミン)師兄が率いる安美プロジェクト施工チームから成り、中部は洪武正(ホン・ウーヅン)、張富進(ヅァン・フージン)師兄らが修繕チームを結成し、台湾を半周して花蓮に到着した。
玉里静思堂二階の講経堂で事前説明会が開かれた時、慈済基金会の張済舵(ヅァン・ヂートー)副執行長は、花蓮県政府はすでに全世帯の損壊状況の調査を終え、被害状況に応じて重度から軽度までリストを作成しているが、ボランティアが各家庭を慰問した際、家屋の損壊状況はそこまでひどくないものの、一人暮らしの不安に加えて地震がトラウマになっている高齢者が少なくなく、慈済ボランティアが訪問した際にはこらえ切れずに大泣きしながら、ここに住むのが怖いとこぼすお年寄りもいたことなどが分かり、心が痛んだことを報告した。「とにかくそれぞれの家庭状況が異なるため、特に身寄りのない高齢の被災者らに寄り添い、私たちが気に掛けていること、一人ではないことを感じてもらうように」と語った。
県政府の調査後に赤ラベルを貼られた家屋というのは、建物の主構造が深刻な損傷を受けている危険な家屋を意味し、黄色ラベルは構造を補強修繕する必要がある家屋、そのほかは損傷の程度が軽い家屋である。壁にひびが入ったり、床タイルに亀裂が入ったりしていても、構造自体には問題ないとのことだった。
慈済ボランティアは、黄色ラベルの軽度損壊を主体に修繕をおこなった。黄色ラベルの家であれば、営建処の専門職員が視察に同行して施工に備え、赤ラベルの場合は営建処が評価を担当し、必要な支援を検討した。
顔執行長は、はるばる遠くから駆け付けたボランティアたちに感謝すると共に、地元住民が安心して生活できる環境を作り出すため、慈済は高い基準の安全、品質、効率をもって全体的に考慮していると語った。本日現場視察を終えたら、すぐに修繕作業にあたるよう、皆に伝えた。
視察を行う前に、皆が期待していたのはオンラインで花蓮静思精舍と繋がり、「法師様にお会いする」ことだった。法師は、安全に注意するよう繰り返し伝えると共に、損傷がひどい家屋の中には入らず、警戒心を持って自分の身を守ってこそ、世界各地の慈済人からの大愛と心遣いを、被災者に届けることができる、とおっしゃった。
(慈済月刊六七二期より)
私は三十年あまり、大工をしていました。被災地に修繕チームが必要だと聞きつけて、すぐに六名のプロの大工でチームを組むと、車で花蓮に向けて出発しました。被災者らは慈済人が来たのを見て、口々に「助かった」と言ってくれました。現場で建築材料を見積もっていると、被災者らの悲痛な声が聞こえました。余震が続いて恐怖を感じ、慌てている様子を見て、私たちも辛く、心が痛みました。「材料が揃ったら、一両日中に作業を始めますから」と言うと、彼らは喜んで、「一般の大工さんはなかなか来てくれないんです。慈済の皆さんに手伝って頂けて良かったです」と言いました。家屋の修繕を終えると、損壊した部分は見えなくなり、彼らの心は落ち着きました。善い事を行うには縁を大切にすることです。縁を逃してしまえば、もうその機会はやってこないのですから。─陳明月(チェン・ミンユェ)
壁に亀裂が入ったり、ケイカル板やタイルにひびが入って落下したり、床板が陥没したりして生活に支障がでており、毎日損壊した家を眺める被災者はやりきれない気持ちでいっぱいだったことでしょう。これは予測することのできない無常な地震ですが、我々は損壊の程度に応じて、駆け付けてくれた職人にプロの施工進度と品質で取り組んでもらい、一日も早くいつも通りの生活が送れるよう、作業にあたりました。─ 洪嘉駿(ホン・ジアジュン)
私はアルミサッシ窓を作る業者です。今回の修繕プロジェクトには直接関係がなく、分野が違うので全く見当がつきませんでしたが、やはり玉里にいって役に立ちたいと思い、参加しました。割れたタイルをたたいて落としたり、車で荷物を運んだり、雑用など、できることは何でもやりました。娘にはもう年だから力仕事はやらないように言われましたが、私は娘に、慈済は温かい団体だから、ここで何かするのが好きなんだ、ちっとも疲れを感じない!と言いました。─ 林木能(リン・ムーノン)
(資料提供・胡淑恵、呉珍香)