生生世世続く悟りの道

(絵・陳九熹)

苦難を覆すには、世界を覆し、人生を動かし、人々に人生の無常、苦、空の道理を体得してもらえば、満足できない欲念が無償の奉仕に変わり、生生世世迷うことのない悟りの道を歩むことができる。

年に一度の歳末祝福会が十月下旬から始まり、東部、南部の各拠点を経て、北に向かいました。今回の行脚での嬉しい出来事は、認証を授けることです。今年もまた菩薩の道を歩む人を募りました。認証を授かった時が菩薩道の起点であり、一層精進しなければなりません。

「志工(ボランティア)」とは、発心立願し、人間(じんかん)で奉仕する志を立て、菩薩道を歩む人のことです。必要とあれば直ちに行動を起こし、困難にある人に励ましと力を添えるのです。最も大切なことは、敬虔で誠実な大愛の気持ちを届けることで、世の中は愛と温かさで満たされていると感じてもらうことです。

五十数年来、心から仏教の為、衆生の為に尽くし、慈済人は私についてきてくれました。今年の歳末祝福会で上演された経蔵劇で、皆さんの整然として荘厳な演技を鑑賞しました。私の願いをこの様に表現してくれたことに感謝し、感動に胸が震える思いをしました。弟子たちが理解してくれ、私の信条である解、信、願、行を見事に融合させて、私に自分の生涯が価値あるものだと感じさせてくれました。

二千五百年前、仏陀は王宮から出て、この世の苦しみを目にしました。それから二千五百年後、私たちもそれを目にしました。仏陀の故郷であるネパール・ルンビニという素朴な村を訪れた時、そこは何の発展もなく、人々の生活は困窮していました。普通の人はそれが日々の生活であり、一月ひと月、一年また一年と暮らしていくのは当たり前のことだと思っています。貧しい人は、永遠に貧しいと思い、裕福な人は、代々裕福だと思っています。しかし、仏陀は、どうしようもない貧、病、老、死を目にして、深く感じ入り、人々の苦しみは物質的に不足しているからだけではなく、心の不足に対して詳細に考えました。それは金銭や物資では救えず、徹底して生命の真理を理解し、執着している無明から抜け出して、生生世世迷いのない覚りの道へ導かなければならないと悟りました。

心に煩悩や欲があれば、永遠に満足できず、永遠に損得にこだわります。欲しいものが得られた時は喜びますが、更にそれを「自分」の所有物にしたいと思います。しかし、どう願っても、永遠に満ち足りることができないのです。永遠に満足できない心は、衆生に苦しみをもたらします。仏陀は衆生の心の持ち様を変えるために、人々に人生の無常、苦、空の道理を解き、直ちに悟りを開いて欲望の追求を止めることで、無明を無くし、心に満足を得させようとしました。足ることを知る人は福を造ることを知っています。喜んで奉仕することで福を造る人は、豊かで満ち足りた人生を送ることができます。

私の心願は、ネパールの人々が苦難から立ち上がれるようになることですが、実は、世界を変え、人生を動かさなければなりません。欲念を大愛に変えれば、奉仕する気持ちが生まれます。行脚に出てからずっと、人生を変えたボランティアたちが、過去に心の偏りで業を造った話を聞いて来ました。方向を正すのが、仏法であり、菩薩道なのです。善念の行き着く所は、見返りを求めない心ですが、常に法悦に満ちているのです。心を広く開け放っている故に、捨てがたく、放下できない愛はなく、他人と関係が悪くなることはなく、煩悩で困惑することもありません。
年配ボランティアは、年をとったために、前進したいと思っても、脚に力が入らない、と言っていました。私もそれを感じています。前回行脚した時は自在に歩け、段差も問題は感じませんでしたが、今回は平な道も少し苦労を感じるようになりました。私はいつも、胸をはって、真っ直ぐ立ち、老、病、衰弱の苦があっても、喜びと感謝の心を持つように、自分に言い聞かせています。ですから今回も、創設当時、一人で此の道に踏み出したことを思い出し、今、振り返ると、何千何万もの人が整然と後ろについて来て、長い隊列を作っています。蛍のようにきらきら飛んで闇黒を照らし、五濁悪世の中で人心を浄化し、平和な社会を実現してくれています。これが真、善、美の世界です。

ですから年配ボランティアは老いを認めてはいけません。誰も老いる権利はなくても、菩薩の大願を発心し、この世で使命を尽くしています。私は歩みはゆっくりでも、大きな歩幅で歩いて、脚力を鍛えています。心がけと願があれば、必ず鍛えることができます。台湾だけが私たちを必要としているのではなく、世界の多くの国が私たちを必要としているのです。

私や皆さんの力だけでは足りず、まだまだ人間(じんかん)菩薩を募らなくてはなりません。これまで導いてくれたベテランボランティアを忘れず、彼らのように熱心に募り、人々を悟りに導いてください。慈済宗門は環で繋がり、代々伝承して行く必要があり、皆さんが肩で衆生を済度する責任を担い、この世の浄化に努めて下さい。

私は工芸品の小さな蟻のマスコットを時計の上に置いています。自分はその蟻のように懸命に精進し、時と争っています。ちっぽけな人間ですが、この年になっても、諦めたりしません。私たちが共に慈済で奉仕できることに感謝しつつ、菩薩道を歩み、そしてやり続けて最期の時が来たなら、再び初心に戻ってこの道を歩み始め、新たな人生を歩み始めたいのです。皆さんが精進を続け、未来の世に愛の力を伝承してくれることを願っております。

(慈済月刊六七三期より)

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