善い願を共に実行する お力添えに感謝する
敬愛なる慈済ボランティアと会員、各業界の良き友人の皆様、こんにちは。謹んで新春のお祝いを申し上げます。昨年は皆様か… Read More »
三月の出来事
慈済基金会と慈済大学は、宗教団体のシカゴ・ヴィヴェカーナンダ・ヴェーダーンタ協会と共同で、即日より12月31日まで… Read More »
思いやりも練習が必要
問:子供が中学に進学しましたが、自分の事しか思い至らず、
他人を思いやらないのです。
私がきちんと教えていないから… Read More »
歳末祝福 さらなる変化
一月七日にマハーボーディ・コンベンションセンターの外には、珍しく住民の行列ができていた。ブッダガヤで慈済が開催する… Read More »
仏陀成道の地を行く 書き尽くせない苦楽
台湾に戻ってからも、ブッダガヤに滞在した三週間のことをよく思い出す。レポートを書いていたり、シャワーを浴びている時… Read More »
まだ抱きしめることができる両手がある
転んで両脚を骨折したお婆さんは、
両手を鍛えて人と交流する方向に考えを切り替えた。
竹を杖代わりにしていたお爺さん… Read More »
一枚の帽子を編むことは 一つの夢を紡ぐこと
「最近、私は帽子を五枚編んで、千五百ルピーの工賃をもらったので、滞納していた学費をすぐに支払いました」。ネパール・… Read More »
私の執筆活動─「一本指タイピング」から始まったマジック
どんな仕事も、生まれつきできるわけではない。例えば、執筆活動。
私は「一本指タイピング」でパソコンを学び始め、楽し… Read More »
呼吸ができる家
四十年間住んできたが、物は入っても出ることがないため、
家には呼吸できる場所が無いほどになっていた。
ボランティア… Read More »
ルンビニからブッダガヤまで|路地から路地へ─街を歩いて愛を繋げる
二年前から、シンガポールとマレーシアのボランティアは、ネパールのルンビニに滞在し、ブッダ生誕の地で慈善活動を始めた… Read More »
ブッダガヤの一日
トゥクトゥク(三輪タクシー)は尼連禅河の河畔の村で停まり、
ボランティアは牛を避けながら村に入った。
ブッダガヤ… Read More »
高山の石地に誕生した教室
ネパール西部の山岳地帯にあるシュリー‧ジャナ‧ユワ小学校では校舎脇の空き地で十人ほどが、フレームを組み立てて板を設… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
今月の特集
證厳上人のお諭し
仏教慈済慈善事業基金会執行長新年のご挨拶
台湾慈善
親と子と教師、三者の本音
命の贈り物
行脚の軌跡
三月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。