私の執筆活動─「一本指タイピング」から始まったマジック

どんな仕事も、生まれつきできるわけではない。例えば、執筆活動。私は「一本指タイピング」でパソコンを学び始め、楽しく活動をしている。辛いと思うことはなく、美しい話を残すことで、幸せな気分になれる。

一九九五年に「一本指タイピング」でパソコンを学び始めて原稿を書き続け、今ではこのパソコンという「ペン」と切っても切れない縁を結んだ。

誰でも何か本能を秘めている、と私は信じている。例えば、私は慈済に参加してから、手話やシェフになる方法を学び、訪問ケアボランティアとなって憂え悲しんでいる人を奮い立たせ、生死の無常に立ち向かわせた。また、人文記録ボランティアになって、原稿書きや写真撮影、動画編集などを学んだ。どれ一つとっても、生まれつきできるのではない。学ぼうとする意思が必要であり、人生の中で目標を立てて実践し、理想を実現するのである。

地域ボランティアの素晴らしい軌跡を残すために、私はできないことをできるまで学んだ。どんなことでも、その気さえあればできるようになる。「心して行えば、プロになれる」のである。初めてパソコンを買って、タイピングを習い始めた時、私は宣伝チームのリーダーになったことを覚えている。初めてサマーキャンプのマニュアルを作成した時は、一つの原稿を編集するだけで、九回も電子ファイルが消え、やり直さなければならなかった。苦労してタイプした原稿ファイルが突如として消えてしまった時、私は平常心を保って、「もう一度作れば、もっと上手く書けるだろう」と自分を励ますことしかできなかった。

何かを望めば苦しむことになる。證厳法師は、「見返りを求めず奉仕し、その上、お礼を言うのです」と諭している。楽しく物事を行えば、辛いと感じることはない。幸せとは、学ぼうとする意志から生まれ、「その気さえあれば、難しいことはない」のだ。

林秀女(右から二人目)は2009年、清水の静思堂で歳末祝福会に参加しに来た夫婦をインタビューした。車椅子に座ったご主人が、「ここにいる人は皆とても優しく、私は温かさと感動で満たされました」と言った。

美しい心の旅を見届ける

インタビューを記録するために、ボランティアたちの人生を深く理解していくことは、あたかも何冊もの経典を読んでいるようなものである。彼らのあらゆる奉仕に対して感動を覚えるようになった。ボランティアは皆、慈済で情熱をもって奉仕するという深い情に溢れているが、時には、衆生への思いやりの気持ちや与えることで得られる無上の喜びを、どのように表現したらよいのか分からなくなることがある。彼らの心に触れるたびに、私たちは永遠の初心を共有しているので、それによって慈済の道を修行し続けることができることに気づく。

あるボランティアは以前、醜い自分がいるのは母親のせいだと恨み、カメラを見ると隠れてしまっていた。「こんなに醜い私を撮らないでください!」私は唖然として、「世の中に誰一人として娘を醜いと思う母親はいません。お母さんがその言葉を聞いたら、とても悲しむでしょう」と彼女に言った。そして、「心が美しければ、何を見ても美しいと思う」という法師のお諭しを、彼女と分かち合った。

次に会った時、彼女はユーモラスにこう言った。「写真を撮ってもらえますか?以前、私の心は美しくないことで劣等感を抱いていて、母を責めていたのです。師姐(スージエ)が分かち合ってくれたおかげで、私は変われるのだと分かりました」。私は彼女の心の変化を記録し、それを見届けることができたことに感謝すると共に、荘厳な菩薩の姿を写真に撮らせてもらった。

人文記録ボランティアは、誰よりも「幸せ」である。イベント会場で取材をして、感動的な場面を撮影するだけでなく、イベントが終わると、自宅で編集する。そして、その美しい映像を、大愛テレビ局が世界中に広めてくれるのだ。

私の記事は、『慈済速報』や『慈済』月刊誌、『慈済道侶』シリーズの本に掲載されたことがある。動画撮影や編集を学び、大愛テレビでも何度か放送された。作品が採用されるたびに、認められたことを感じた。しかし、自分でもそのコンテンツに感動しなければ、どうやって他人に感動を与えることができるだろう?これらは私のこれまでの努力を肯定するものだと信じている。慈済を愛しているから、これからも努力を続ける。

人文記録ボランティアの使命は、「時代の証人となり、人類のために歴史を残し、慈済のために経典を書くこと」である。かつて法師は、“文字にして記録するのは頭を使うため、どちらかというと大変な仕事ですが、それは永遠に残すことができ、何千年、何万年も保存されるのです”と言ったことがある。

世の中には美しい善意に満ちた話が沢山ある。どれも後世の教育で良薬となることができる。私は、あらゆる慈済人が、人文記録ボランティアになってくれることを望んでいる。全てが感動的な史実であり、私たちが心して記録するから残るのだ。そして、後に続く人たちはそのような菩薩の足跡と模範を追随するようになる。慈済の四大志業を全て歴史に残すために、人文記録ボランティアは必要だ。それはとても光栄なことであり、この因縁を大切にして、真の伝法菩薩となって、真実の仏法を世の中に伝えたい。

(慈済月刊六八一期より)

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