高山の石地に誕生した教室

ネパール西部の山岳地帯にあるシュリー‧ジャナ‧ユワ小学校では校舎脇の空き地で十人ほどが、フレームを組み立てて板を設置するのに忙しくしていた。季節は冬を迎え、風雪が迫る中、子どもたちの教室の建設を急いだ。

二〇二三年十一月三日、ネパール西部のカルナリ州ジャジャルコット県で、マグニチュード五‧六の地震が発生し、百五十七人が死亡した。それは二〇一五年以来、最も多くの死傷者が出た地震だった。家屋や学校も大きな被害を受け、三百キロメートル以上離れたルンビニの慈済ボランティアが、被害調査に駆けつけた。

その高原の地形は平野にあるルンビニとは大きく異なり、至る所が石だらけである。村人はそれらの石を使って家を建てており、ルンビニの田舎によくある茅葺きや土壁の家はここでは見られない。野外での授業を強いられる教師や生徒のことを思い、ボランティアは応急的に仮設教室を建設することを決めた。学校側が元の場所に恒久校舎を建設する時のために、容易に解体や移設できるプレハブ式を採用した。地面にはセメントを敷かず、セメントボードを敷いて、後日取り外せるようにした。

山岳地帯は資源が不足しており、建材はルンビニにある慈済の連絡所から運んできた。組み立て作業員も被災地で現地採用した。慈済の建築ボランティアの指導の下、彼らは素早く技術を習得した。「仕事を与えて支援に代える」活動に参加してもらうことで、工賃収入が得られ、被災した彼らも生活を維持することができた。

災害支援
  • 一九九三年にネパールで大洪水が発生し、慈済は支援に赴いた。そして、一九九五年に三つの県で四つの大愛村の建設を支援した。
  • 二〇一五年の大地震の後、慈済ボランティアは国境を越えて災害支援を行った。バクタプル市などの被災地で物資を配付し、施療や食事の提供を行い、延べ二十一万人余りを支援した。
  • 二〇二三年十一月に西部で発生した大地震では、慈済は五つの学校で三十のプレハブ教室の建設を支援し、その後も被災世帯が自力で家を建てられるよう、建材を提供した。
異郷で新年を迎えながら作業を急ぐ

二〇二三年十二月三日に工事が始まり、ボランティアは被災地で新年を迎えた。一方ルンビニのチームも休むことなく、建築ボランティアはプレハブ教室のドアや窓、壁板など建材の準備に全力を尽くし、新年の初日に、トラックで被災地に運んでもらった。慈済は五つの学校で合計三十の教室を建設した。

教室の使用が始まると、ボランティアは教科書と教材を提供し、またルンビニにある慈済の職業訓練コースの学生が作った石鹸と毛糸の帽子をプレゼントした。マレーシアボランティアの張栢林(ヅァン・バイリン)さんは、「ルンビニで『仕事を与えて支援に代える』活動を進めているボランティアに、感謝しなければなりません。組み立ての第一歩では、フレームを溶接してから被災地に運ぶ予定でしたが、山岳地帯の道路状況が悪いため、途中でトラックからトラクターに移して運ばなければならなかったのです」と言った。また、トラクターですら到達できない学校もあり、百人もの村民がリレー式に、建材を運んだ。

一月中旬、山間部の気温が摂氏零度前後になったが、クベイニ小中学校の九つのプレハブ教室は全て完成した。第一段階の建設支援が終了すると、続いて学校の宿舎用の四つのプレハブ住宅の建設が待っていた。

(慈済月刊六八七期より)

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