編集者の言葉
霜や雪が静かに石川県能登半島の穴水町を覆い、古い民家が並ぶ路地は白くなった。今はリンゴ、キャベツ、大根の最盛期で、北国の冬景色は旅人の憧れである。しかし、元日にマグニチュード七・六の地震が発生した後、各地から医療従事者や災害救助隊員が駆けつけ、一部の人員は公立穴水総合病院に集まり、慈済ボランティアも注目した。昼食の炊き出しは一月十三日からの実施だったが、多くの人が列を作り、自主的におかわりと言えるようになり、記念撮影に納まろうとしたことから、台湾の味を取り入れた日本料理が人々の心を捉えたのだと分かる。
しかし、カメラを他の方向に向けると、断水している被災地で慣れない厨房と調理器具を使って、一日に数百人分の昼食を作らなければならない様子や、東京や大阪などから来た慈済ボランティアが映った。気温は氷点下でも冷や汗をかくことが多く、忙しさのあまり午後三時過ぎになってからやっと、インスタントラーメンでお腹を膨らますこともあった。
日本では、政府による救災は非常に系統立っており、動員も組織的である。例えば、昼食を受け取りに来る人が着用するベストには、どこから派遣されて、何が専門なのかが一目で分かるようになっている。慈済人のことも、被災地でどのような役割を果たしているのかを人々に見てもらうことが交流の第一歩だった。恐らくこのような小さなところから理解が始まるのだろう。一月十七日の昼食は味噌味の中華丼だったが、ボランティアはお腹も心も温まる熱い汁物がもう一品あった方がいいと考え、待機していた師兄が直ちに車で水を探しに出かけた。愛は無形だが、一食の温かい食事から愛の温度を感じることができるのだ。
中国語繁体字版の月刊誌『慈済』は、二期にわたって、能登半島地震における慈済の支援活動を続けて報道している。また、今月号は特別に仏陀の故郷を訪れ、年末年始にボランティアが多忙な日々を送ったことも紹介している。この時期、世界中の慈済人はそれぞれの国で歳末祝福会を行っているが、中でも特別なのは、仏陀生誕の地であるルンビニと、仏陀が悟りを開いたブッダガヤで行われた祝福会である。前者はネパール南部に、後者はインド北部にあり、どちらも仏教の聖地として知られており、特にブッダガヤでの歳末祝福会は、今年初めて行われたことだ。
この二年間、シンガポールとマレーシア、そして台湾のボランティアがリレー式に投入して、基礎教育や女性の地位向上への自覚に力を入れてきた。カースト制度に慣れている当地の人にとって、紺のシャツに白のパンツ姿の外国人がやって来て駐在し、誰にでも平等に生活技能訓練と医療を提供し、貧しい人や病人など立場の弱い人々を救済し、良い価値観を奨励するといった試みは、理解し難いことであったが、ボランティアの誠意に心を打たれたのである。農作業のために学校を中退した子どもたちは、一人また一人と制服姿でカバンを背負って学校に戻ってきた。女性たちも、一人ひとり勇敢に家から出て、裁縫や編み物を学んだので、収入が得られるようになった。彼女たちの笑顔が、愛は無形だが、その影響力は目に見えるものだ、と改めて感じさせてくれた。
(慈済月刊六八七期より)