子供が中学に進学しましたが、自分の事しか思い至らず、 他人を思いやらないのです。 私がきちんと教えていないからでしょうか?
答:友人のCさんの二人の娘さんは、笑顏が素敵で、褒め上手で、誰からも好かれます。ご両親ともベテランボランティアなので、お母さんは図書館にボランティアに行く時、お子さんを連れて行き、一緒に本の整理をしています。お子さんは自然に本に親しみを持つと共に、自主的に人に挨拶をしたり、小さい子供の世話をしたり、年長者に付き添ったりします。お父さんは每日朝早くからコミュニティで健康体操を教えています。自分が健康になり、家族全員も早寝早起きの習慣を身につけるようになりました。
以下は、青春期のお子さんを持つご両親に読んでいただきたい内容です。
愛と手本
ほとんどの人は、子供を持ってから如何にして親になるかを学び始めます。いったい子供のためになるには、どのようにすれば良いのでしょうか。私は、教育專門家が提唱している「愛と手本」を示すだけでいいと思います。
教師を退職した倪美英(ニー・メイイン)さんは、「愛」について独特な解釈をしています。
『愛』という字は真中に『心』があり、その上下の部分だけを合わせると『受』になります。つまり『心』の中に感じてこそ愛であり、『私があなたを叩いたり、叱ったりするのはあなたのためであり、今私たちがやっている全ては、あなたを愛しているからです』というのは間違っています。そういう愛情は重すぎて、お子さんは愛を感じることができず、高い塀を築いて「自分」の空間に閉じこもってしまいます。
子供は、生まれると親の世話で成長しますから、「両親が手本となる」ことはとても重要です。お子さんが時間通りに起きて、寝て、食事する時はスマホをいじらないことを望むなら、親自身も時間通りに寝て、ドラマ三昧になってはいけません。お子さんに読書を好きになって欲しければ、大人も本を一緒に読みましょう。両親が他人に関心を寄せていれば、お子さんは自然に周りの人を思いやるようになるのです。
一緒にボランティアをする
作家の劉威麟(リュウ・ウェイリン)さんは、「ボランティア活動に参加し、手本に出会う」という文章の中に、アメリカ・テキサス州立大学助教授のケビン•ランザ氏が発表した研究報告の引用がありました。ボランティアをする人は皆、或る特質があるというのです。楽観的、積極的、ポジティブな考えを持っていると指摘しました。ですから仲の良い友人のCさんの家には、常に人も羨むほどの笑い声が溢れているのでしょう。
ボランティア活動はもう一つの学習あるいは社会と接触するルートであるだけではありません。このような活動は、今のところ主催者が事前に選別して手配しているので、お子さんにとってあまり刺激がなく、活動の内容もあまり挑戦的でなく、学べることは多くありません。しかし、奉仕に投入した時の最も貴重な体験は、同じようにボランティアをする人々に出会うことです。彼らの情熱的且つ積極的で前向きな生き方は、電子製品が築いた高い塀を打ち破り、「オタク族」の冰山を溶かすことができます。
ですから、ご両親が休日に家から出て、お子さんを連れてボランティア活動に行ってみたらどうでしょう。お子さんは知らず知らずのうちに感化され、きっと情熱的で陽気な青年になるでしょう。真心で人に奉仕すれば、人生で小さな素晴らしいことと幸せを感じるでしょう。それが価値のある人生であり、その価値でお子さんがより奉仕する気になり、多くの人に接して、「手のひらを下に向ける」人になろうとするようになるでしょう。
両親が先に手を放す
手を放して、お子さんに自分で試して過ちを犯しても償い、解決させるのです。それは、肯定と信頼を意味していることであり、全ての過程を経験することでもっと強くなり、重責を担える力をつければ、将来、人生の責任を担うことができます。
手を放す過程で、心を落ち着かせてお子さんとよく、自分たちの期待について話合ってみましょう。ひたすら負担するのでは、期待が外れた時、傷付いてしまい、そのまま親子が衝突してしまえば、モラハラの一種になってしまいます。
かつて、お子さんに医学部への進学を望んだ、あるお父さんがいました。お子さんは要求通り医学部を勉強し終わりました。卒業式の日、お子さんは恭しく卒業証書をお父さんに捧げ、「私はもう『あなたの医学部』を勉強し終わりました。これからは、私の最も好きな数学科に進学します!」と言って、振り向きもせず出て行ってしまいました。後悔するお父さんが後に残されました。
人性は本来、自分を利するものであり、利他は後天的に培われた情操です。しかし、絶えず練習する必要があり、ローマは一日にして成らず、ですから。お子さんが中学生の段階であれば、親子の間には感情の貯金があるはずで、どのように教えても、まだ間に合います。ヘリコプターペアレントとなって、過保護、過干涉或いは子供の生活に介入するより、むしろ子供を連れて、快適な生活から出て人に奉仕すべきです。そうして初めて、彼は「思いやり、観察する」ことを練習する機会に恵まれ、人との付き合い方が分かるようになり、利己的な人間になることはないでしょう。
(慈済月刊六八五期より)