実践したことを話す

確かに歩んで来てこそ、
沿道の風景を心に刻むことができ、
実践することで、道理を話すことができるのです。

客が布施すると、オーナーが賞賛した

桃園の経蔵劇チームと愛ある商店チームの感想を聞いて、上人は、愛は無形でも、諸々の行動で誰かに何かを感じさせ、より多くの人が奉仕するよう導くことができ、もっと多くの愛を結集すれば、苦難を救う力はもっと大きくなり、支援する範囲も広くなり、救われる人ももっと多くなるのです、と言いました。

「慈済に参加するだけではなく、世の中の事を知らなければなりません。世の出来事を知れば、なぜ慈済が志業をするのかが分かってきます。衆生はこの世界を共有していますが、衆生というのは人間だけではなく、あらゆる生命を意味します。仏陀は菩薩の道、即ち私たちに衆生を愛護することを教えてくれました。人間(じんかん)ではいつも善と悪が綱引きをしていますから、仏陀は、善を助け、悪を断ち、人間(じんかん)の苦を断ち切るよう衆生に説法し、教えています。天国と地獄は、実は人間(じんかん)にあるのであって、善行すれば日々が楽しく、毎日天国にいるのです。もし悪念につられて悪事をすれば、日々地獄の苦しみを味わいます。これは明らかな道理です」。

上人のお考えでは、仏に学ぶ者は法でもって自ら悟りを開くと共に、他人を悟りに導いて、仏法を人間(じんかん)に根付かせなければならず、そして、道理を理解するだけでなく、もっと多くの人に理解してもらうことが大切なのです。ですから菩薩である皆さんが大衆を愛で満たし、方向を見失った人や一念の偏りで道を誤った人を導かなければなりません。皆さんが商店を訪ねて回り、お店が喜んで募金箱を置くようになった商店街は、愛で満ちています。その募金箱には人助けに使ってほしいという愛のこもったお金が入っているのです。お店ごとに福を造り、喜んで布施するお客さんがいれば、店の主人は賞賛と感謝の言葉を述べるので、人間(じんかん)は温かく満たされていきます。

「私たちが募金する場合、どれだけ集めなければならないかが目的なのではなく、一人ひとりが愛の心を啓発してくれることを願っているのです。心して愛を募る時、人に出会えば、自然と慈済のことを話すようになります。会う人ごとに慈済のことを話すのは、人に会うごとに念仏するのと同じです。慈済が実践してきたことを話すのですから、どこそこの国や地域でどんな災害が発生したかを伝え、皆で慈済と一緒に支援し、善行することを勧めるのです」。上人は、大愛テレビを見れば、最新の世界中で慈済の行いを知ることができるので、いつでもそれらを分かち合いながら、一緒に善行してほしいと声を掛ければ良い、と言いました。

仏法は広大無辺であり、道理の範囲も無辺際ですが、やり遂げなければ語ることはできない、と上人は言います。「経は即ち道理であり、道理は道なのです」。もし学んだ道理を実践していなければ、目の前に道があっても、そこを歩かなければ、沿道の風景が分からず、感想を話すことができないのと同じです。確実に歩んで来たのであれば、実際に体験したことを人に話すことができるのです。

上人はこんな話をしました。「以前、陳燦暉教授が聖厳法師(台湾の宗教団体「法鼓山」の創始者)に会った時、『慈済は大衆の愛を結集してこんなにも多くの善いことをしていますが、證厳法師の体は弱く、万が一の時に、慈済はどうすればいいのでしょうか?』と尋ねました。聖厳法師は、『證厳法師の思想や理念を五十人が持っていれば、その五十人が即ち一体の證厳法師なのです』とお答えになったそうです」。

「私は聖厳法師のその言葉にとても感謝しています。人には誰でも仏心があり、私たちの本性は皆同じで、清らかな大愛を持っているのですから、誰もが『證厳法師』であることを願っています。よく慈済人が『それは師父の心願であり、師父の言う通りに私は実行します』と言うのを耳にします。私が皆さんに言いたいのは、これは釈迦牟尼仏が私たちにそう教えているのであり、私たちは縁がある故に、私が創設した慈済で、皆が集まって一緒に人々を悟りに導いているのです。ですから、慈済人が至る所に出向くのは、災害が多い今世で、一人ひとりの愛の支援を必要としていることを人々に知ってもらうためです。人助けができる人は幸せです。福を知って、福を惜しみ、更に福を造るのです」。

上人はこう開示しました。経験豊富な慈済人は三、四十年前から、一軒一軒家を訪ねて「托鉢募金」を行ってきましたが、今は街を歩いて「愛ある商店」を募っています。どちらも同じ精神であり、共に善行しようと多くの人に呼びかけているのです。もし人数が少なければ、どんなに力があっても、広い範囲で全てを成しとげることはできません。

また、愛の募金箱を置かせてくれる店では、お客さんに愛の奉仕をする機会を与えています。それが一元であれ、五元、十元であれ、小さな額でも人々に幸福をもたらします。皆で愛の力を結集すれば、「福の気」ができ、一人ひとりが福を造ってこそ、衆生の共業から出る「汚れた気」を浄化できるのです。皆で親しい人や会員に愛を呼びかけてください。一人でも多くの人が応えてくれれば、それだけ人間(じんかん)に多く「福の気」をもたらすことができるのです。善の念という清流と「福の気」を、人間(じんかん)で絶えず高めることが大切です。

(慈済月刊六八七期より)

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