呼吸ができる家

四十年間住んできたが、物は入っても出ることがないため、家には呼吸できる場所が無いほどになっていた。ボランティアは陳さんに付き添って、「要る物」と「要らない物」を選り分けた。

陳さん一家の了承を得て、ボランティアはリビングルームに置いてあった巨大な魚の観賞用水槽を、リサイクルするために運び出した。

築四十年の古いアパートは、昔ながらの住宅街に位置し、二階にある広さ二十七坪の住居に三世帯の五人が生活している。バルコニーだけを見ても物が一杯に置かれ、リビングのソファー、テーブル、スツールにも多くの物が積み重ねられていて、それらしく見えなかった。棚は薬が入った袋で一杯だ。そして、巨大な魚の観賞用水槽が空のままリビングの中央に横たわっていた。

三つある部屋にはそれぞれ、陳さん、癌を患う次男、奥さんと長男の二人の娘が暮らしていた。物が床から天井まで積み上げられ、部屋いっぱいになっていて、横向きでないと移動できない。微かな光が窓から入ってきていたが、寝るスペース以外は全て物で埋め尽くされていて、この家には「呼吸」できる場所がないほどだ。

八年ほど前、ある小学校の先生から慈済に、二人の子供の面倒を見て欲しいという依頼が来た。ボランティアの葉美雲(イェ・メイユン)さんは、その時から現在に至るまで、陳家に寄り添ってきた。陳さんの孫娘たちは、今はもう中学生である。葉さんは毎月自転車に乗って、台北市忠孝東路六段末から新北市汐止区南勢街まで三十分かけて通っている。雨の日も風の日も例外ではない。その誠意が通じたので、遠慮がちな陳さんは、やっと彼女に心の内を打ち明けるようになった。

「妻は人工透析をして寝たきりで、長男は刑務所を出て半年もしない内に家出して行方不明になりました。そして次男が癌に罹ったのです。私は本気で運を変えなければ、と思っています」。葉さんは陳さんがそう言ったのを聞いて、待ちに待った機会がやってきたと思った。

「家を整理すれば、心も晴れますよ」。陳さんも承諾してくれた。

六月十八日、端午の節句の前日、十二人のボランティアが陳家にやって来た。陳さんは「私はもう一週間も整理しています」とあわてて言った。皆で手分けして、バルコニー、リビング及び寝室を片付け始め、一つひとつ陳さんの同意を得てから物を捨てた。

空の水槽は捨てていいかと尋ねると、孫娘が「要る」と言い、陳さんは「要らない」と言ったので、膠着状態に陥った。葉さんの説得で、孫娘がやっと捨てることに同意したので、リビングが広くなった。

今日は他にも大変な作業があった。奥さんが寝ているベッドを陳さんの寝室に搬入してから、電動ベッドを彼女の寝室に搬入したのだ。移動距離は長くないが、中間に動かせない食器棚と大きな冷蔵庫が道を塞いでおり、二部屋に長年貯まっていた物を捨ててスペースを作らなければならなかった。ボランティアたちは力を振り絞って、やっとベッドを陳さんの寝室前まで運んだが、曲がり角のスペースが足りず、搬入することができなかった。

汗で濡れた服は乾く間もなかったが、ボランティアは気落ちすることも、諦めることもなく、やっとベッドの方向を変え、寝室に押し込み、問題を解決することができた。陳さんが笑顔を見せた。長年マットレスだけで寝ていたが、今夜からやっとちゃんとしたベッドで寝られるようになるからだ。

ボランティアたちは気を付けながら、水槽とマットレスを一階まで運び、普段は従業員に対して指揮している邱進興(チュウ・ジンシン)さんも一緒に一階まで運んだ。「陳さんはご近所です。今日は上ったり下りたりして全身に汗をびっしょりかきましたが、人助けができて実に爽快です。自分で体験しないと分かりません」。エコ福祉用具を届けに来たボランティアの曽立文(ヅン・リウェン)さんは、「彼らの苦しみを和らげることができました。彼らの喜びは私たちの喜びでもあるのです。これこそまさしく、上人が私たちに求めていることです」と言った。

整理整頓は一段落しても、「寄り添いはつづけます」と葉さんが言った。陳さんはボランティアと一緒に家の内外で忙しくしていたが、「私一人の力では何もできませんでした。ボランティアの皆さんには心から感謝しています」と言った。

数十年来、物は中に入れても、出すことはなかった。「捨てる」か「捨てない」か、陳さんにとっては決め難いことだった。それはまるで人生の方向を探している姿と同じである。ボランティアたちは、力を合わせ、見返りを求めず奉仕しながら、陳さんが安心して生活できるように、また、人間(じんかん)の温かさを感じ取ってくれるようにと期待した。

(慈済月刊六八一期より)

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