菩薩が増えることはこの世の慶事

毎年の認証授与式は感謝に堪えません。また一人、慈済人が増えて、社会で愛の力を発揮してくれるからです。

「慈」とは愛であり、「済」とは奉仕を意味します。世の片隅には必ず苦難に喘ぐ人がいます。慈済の行動はもっと広めていく必要があります!

一年に一度行われる、海外で研修を受けた委員と慈誠隊員の認証授与式と歳末祝福会ですが、皆さんが遠くから花蓮に来られ、一堂に集まってくれるのは、まさに認証を授かる瞬間のためです。皆さんが人間(じんかん)菩薩になることを発心立願する姿を見ると、この瞬間がどれほど貴重であるかを感じます。私は、委員証と慈誠証を一人ひとりの胸に付けたその刹那、それは私の心に寄り添い、心から皆さんを生生世世、祝福しています。

歳末祝福会で福慧お年玉を手中にする意義は、非常に深いものがあります。それを見れば、私から受け取り、与えられた使命が菩薩道を歩むことだと思い出すでしょう。菩薩道を歩めば、この人生はとても価値のあるものになります。

この世に菩薩が増えるのは、非常に喜ばしい事です。私が喜びを感じるのは、私たちが苦難にある人と接する機会がより多くなった時、あまねくこの世でより広く愛の力を発揮することができるからです。皆さんに期待するのは、恩師の教えである「仏教の為、衆生の為」を引き継ぎ、台湾からこの使命を自分の国に持ち帰って、あまねく世の未来が、幸福と平和になるよう尽くして欲しいのです。

認証を授かるまで数年間の研修を経て、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)そして人との接し方、人々と打ち解けることを学んできたと思います。何事をするにも礼儀正しく、静かに話しをするという、慈済人らしさを守らなければなりません。海外から参加する場合、様々な国や地域の人たちが、翻訳機を付けて参加していますから、私は翻訳者の方が聞き取れるように、また正確に翻訳できるように、ゆっくり話しており、参加者が翻訳された話をよく聞き取れたかどうかを観察しています。聞き取れていなければ、心に感じるものはなく、感じるものがなければ感動しません。感じて感動するには、頭と心を的確に使う必要があるのです。

皆さんが認証を授かりに来るために、元気に帰って来るということは、愛と信念の堅さを表しています。何年もベテランボランティアの後ろについて訪問ケアをし、多くの貧困に苦しむ家庭を目の当たりにして、彼らが本当に支援を必要としていることに気づくと同時に、人助けが出来る人は最も幸せを感じ、余力があって人間(じんかん)に福をもたらすことができる人は、幸福だと感じたことでしょう。

近年の気候変動は益々激化し、災害はとても多くなっています。お金さえあれば救済できるのではなく、どれだけお金があっても終わりはありません。最も大事なのは減災で、被害を小さくすることであり、それには愛の心を育まなければいけません。誰の心にも善念はあり、常に人間に福をもたらせば、福の環境が出来上がり、自然と災難を消してくれるのです。

天地には天の気と地の気があり、人間(じんかん)には人の気があります。一つの団体に何人か気性が激しい人がいて、すぐに怒り出すとしたら、この団体は美しい団体と言えるでしょうか。単純な団体だと思いますか。自分の気性を管理し、心を修めて人格を向上させることが修行なのです。気性が穏やかな人は、良い人だと見られますが、気性が激しい人が悪い人とは限らず、直ぐに癇癪を起こす癖を直せばいいのです。修行とはこういうことに過ぎません。

「慈済」があれば、苦を取り除いて楽を与えることができますから、苦難にある人は縁さえあれば、救いが得られるのです。自分には力がないと思うのではなく、皆と力を合わせれば多くの事ができるのです。人には無限の潜在能力があり、自分を過少評価してはいけません。しかし、傲慢不遜になってもいけません。傲慢は他人との間に障害をもたらします。他人の目障りにならないくらいにまで自分を小さくすれば、目障りにならないばかりか、喜んで受け入れてくれるでしょう。

良い人の気というのは、満たされた愛から生まれます。他人が排除したり、避けて通ったりすることがなく、喜んで近づき、相手の話に耳を傾けます。互いに励まし合い、協力し合う、睦まじい人の気は、世の中を整えて世に平安をもたらします。

皆さんが私を尊重して、慈済に来ていることに感謝します。また、各地のベテランボランティアたちが歩み始めたばかりの菩薩たちに付き添い、自分が長年、どうやって慈済人の役目を果たし、仏の家業を担い、慈済の使命を伝えているのかを分かち合っていることに感謝します。一人ひとりが分かち合う経験は全て法なのです。

「慈済」は二文字ですが、「慈」は愛で、「済」は奉仕を表しており、慈悲で以て天下の衆生を救済するという意味です。慈済は世界中どこで災難が起ころうとも、耳にしたり、目にしたりすれば忍びなく思い、直ちに駆けつけ、無事を問い、何が必要かを尋ねて支援を行います。支援にはさまざまな方法がありますが、人によっては能力と時間があり、喜んで支援活動に参加します。しかし、時間は無くても愛がある人は、人々に資金と労力の提供を呼びかけています。一点一滴が大海に流れ込むように、量が増え、充分な資源となったら、災難が起きた場所を支援することができるのです。

これらは私たちが長い間続けてきたことであり、また責任でもあるのです。ですから、毎年の授与式にはとても感謝しています。それは、慈済人が一人増えれば、その分私たちの社会や地域に愛の力が多くなるからです。

(慈済月刊七〇九期より)

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