9月26日、臨時第二医療コーナーを設置してからわずか10分も経たないうちに、台南市特別捜査隊の協力で、ボランティア1名が搬送されてきた。診断後、まず点滴と薬の投与を行い、その後、病院へ移送した。(写真提供・花蓮慈済病院)
清掃活動、緊急医療支援、慰問金の配付、専門的な修繕といった慈済の災害支援は、段階的に進められると共に、他の団体とも協力して、日常生活を取り戻せるように被災者を助けた。
近年、人々は自然災害現象を「複合災害」という概念で理解するようになっている。地震・豪雨・台風など複数の要因が重なり合うと、対応が困難な災害を引き起こす。今回の馬太鞍渓せき止め湖の溢流では、数千万トンもの量の水が泥砂を伴って、人々の日常生活の秩序をのみ込み、尊い命までも奪った。突発的で対応が追いつかない災害は、避難・復旧・衛生といった多くの問題を引き起こす。慈済はさまざまな面で被災者の苦しみをできる限り和らげるために、四大志業が参加している。
「何人かの住民は靴を履いておらず、履く靴さえないために、一日、泥水の中に足が浸ったままでした。彼らの多くは高齢者でした」。慈済基金会の顔博文(イェン・ボーウェン)執行長はシャベルを置きながら、「泥がまだ完全に乾かないうちに、ボランティアや職員、そして外から来た民衆も一緒に協力して作業を始めなければなりません」と言った。
慈済は、被災した5つの集落2000世帯余りに慰問金と安心祝福セットを贈呈した。慈済のソーシャルワーカーが資料を照合していた。(撮影・蕭耀華)
復興へまっしぐら
多方面で始まった民間の支援システム
災害発生の翌日、顔博文執行長とそのチームは、数世帯を続けて訪問し、午後には一般の人々に向けて広く人手を募り始めた。まず政府と話し合い、光復駅に近い幾つかの集落を優先的に担当し、「ボランティアが光復駅に到着したら、直ちに支援活動に入れるようにしました」と説明した。最優先の課題は住民が生活を取り戻すための手助けをすることであり、その後すぐに慰問金の配付も行われた。
初日から、花蓮の地元ボランティアが自発的に駆けつけた。慈済基金会も職員にボランティア休暇の申請を認め、さらに花蓮慈済病院救急外来スタッフは、夜勤を終えるとその足で被災地へ直行した。
花蓮慈済病院は災害発生の翌日、光復製糖工場に臨時医療コーナーを設置した。その後、さらに被害の大きかった地域へ支援を広げ、第二、第三の医療コーナーも開設した。そのうちの一つは、家主の許恒瑞(シュー・へンルイ)さんが快く提供してくれた場所で、「些細なことです。光復郷を助けに来てくださった慈済や多くの方々に感謝しています」と許さんは語った。また、大進小学校に避難している住民の多くは高齢者であったため、ボランティアが医療コーナーでの施療に送迎を行った。
慈済のソーシャルワーカーと訪問ケアボランティアは、慰問金の配付を同時に準備し、十月上旬から大安村、大同村、大華村、大馬村、東富村のアトモ集落で実施した。二千世帯余りが支援を受けた。
「このような時は、適切な配付会場を探すのがとても困難です」。花蓮のベテランボランティアである黄麗雲(フワォン・リーユン) さんによれば、会場は、住民が来やすい場所であることに加え、待合エリア、受付、相談スペース、物資の置き場を確保できる広さも必要で、順路をスムーズにし、人々の快適さに注意を払わなければならなかった。
10月上旬、同時に修繕作業が始まった。(撮影・蕭耀華)
泥の除去から再建へ
緊急支援から日常生活の回復へ
中秋節の連休が終わると、静思精舎の修繕チームが被災地で修繕を開始した。災害後の復興に何度も参加してきた専門ボランティアたちは、まず慈済の法縁者と生活困窮世帯、そしてケア世帯を対象として取り組んだ。十月九日、彼らは大馬村を訪れ、或る慈済大学生の住宅修繕を手伝った。窓枠もガラスも洪水で壊れ、家の中の家具や電化製品が泥の撤去作業と共にすべて運び出されていたので、今この家に残っているのは、四方を囲む灰色の壁、そして政府が設置した照明器具二つと水道の蛇口一つだけだった。
修繕チームリーダーの陳重光(チェン・ツォングオン)さんは、「私たちの原則は、まず生活に欠かせない水道や電気の復旧を優先し、さらに住む人のプライバシーにも配慮することです」と述べた。水道管はすでに泥で詰まっており、シャワーヘッドや蛇口、トイレなどの衛生設備は、再び配管をつなぎ直すか、詰まりを解消するまで使用できなかった。ボランティアの陳進中(チェン・ジンヅォン)さんは、トイレ、台所、そして屋外の浄化槽を何度も行き来して点検した。その後、別のボランティアたちが「福慧ベッド」と「福慧間仕切りテント」を運び込み、就寝時に自分の空間を確保できるよう配慮した。
様々な地方の様々な分野から集まった慈済人が、それぞれの得意分野で力を尽くし、災害後の複雑で混乱した状況の中で、住民が再び日常の生活を取り戻せるようにと支援しているのだ。
清掃を終えて電車に乗る前の「シャベルヒーロー」たちは、長靴を洗浄してもらい、泥を車内に持ち込まないようにしていた。(撮影・沈秀華)
世に情あり
手を取り合って共に善を成す
花蓮に隣接する台東や西部の各県市からも人員や機材が光復郷に派遣されて、支援にあたった。光復製糖工場(現在は花蓮観光製糖廠)が災害対応センターとなり、中央と地方政府、国軍などの部署が前進指揮所を設置した。民間からの支援も迅速に集まり、光復製糖工場に隣接する大進小学校の避難所を見ると、生活必需品や食料が整えられ、住民が自由に利用できる状態になっていた。
国際NGOワールド・ビジョンは、大進小学校の図書エリアにスペースを設けて、家を失った子どもたちに寄り添った。「災害が起きるといつも、子どもたちは最も弱い立場に置かれます。だからこそ、私たちはこの部分に資源を集中させ、活動や寄り添いを通して子どもたちの心を落ち着かせたいと考えています」。ワールド・ビジョンでソーシャルワーカーの総指導にあたる唐文柏(タン・ウェンボー)さんが言った。
各界の人々が光復郷に到着して最初に向かう場所として、光復駅は、慈済に続いて官民のさまざまな団体が次々と到着した。国軍花蓮総病院は医療ステーションを設置し、台湾マスタードシード・クリスチャン教会は物資の補給を担当した。また、長時間の清掃作業で疲労したボランティアのために、推拿(すいな)師が自ら進んで施術し、筋肉痛を和らげていた。
清掃作業を始めて数日間、何人かの慈済ボランティアが、作業を終えて電車に乗る前の人たちの長靴を洗っていた。その後、若い人たちによっていくつもの動線が整えられ、靴を洗い、全身に消毒液を噴霧し、最後に手指のアルコール消毒する、という一連の工程の流れが設計、システム化され、スムーズに行われた。
長年にわたり災害後の支援活動に携わってきた慈済ボランティアは、今回これほど多くの若者が参加した光景を見て驚き、そして新しい世代がこんなにも力を尽くしてくれる姿に胸を打たれた。これほど多くの人手と物資、そしてさまざまな組織や官民の協力があったからこそ、災害からの復旧が加速した。
(慈済月刊七〇八期より)


